松本という土地へやってくるのは、今生では初めてのはずだった。
それなのに「あずさ」から降りた直江が駅の外に出てみると、肌がどこか懐かしい匂いを感じ取ったのだ。
前生でも、特に馴染みがあった土地という訳ではないのだが。
「───………」
妙な予感を感じた。
この土地には、きっと何かがある。
自分にとって、大きな意味を持つ何かが………。
そんなことを思いながら、直江は一路松本城へと向かって歩き出した。
今回の旅の目的は、調査だ。
調査内容は、松本城をはじめとした信州方面の戦国縁の地を巡って怨将の、とくに武田方に表立った動きがないかを探るというもの。何か事件がおきて、それに関わることを至急調べなくてはならないという訳ではないから、直江としては気が楽だった。
松本城周辺に変わった様子はないと判断した直江は、既に手配をしてあったレンタカーに乗り込み、妻女山やその他思いついた場所を順繰りに巡って行く。どこも平和そのものの景色が広がっていたが、妻女山では自分に気付いて襲ってた武田方の霊を何体か調伏した。
最後に、川中島へとやってくる。
目前に流れる千曲川を、いつも使っているのとは違う眼で見てみれば、すぐに紅く染まっているのが見て取れた。
いつの時代に訪れても、この河の紅さが薄まることはない。予想はしていたが、他の場所とは比べ物にならないくらい地縛霊が多かった。
遠い昔、最初の換生時にここを訪れた際は、武田どころか混乱した上杉方の霊までが大量に襲いかかってきて、調伏しまくったものだった。
あれから四〇〇年が経つというのに未だにこれだけの地縛霊が残っているということは、それだけの人が死んだということなのだろう。龍虎が猛々しくぶつかり合った、あの合戦で。
実際、当時の千曲川は本物の血で紅く染まっていた。
周囲にいた仲間たちの決死の形相が思い返される。きっと自分も同じような顔をしていたに違いない。
あの時の強い想いは、この土地に染み込んだままずっと残り続けていくのかもしれない。自分たちの想いが濃すぎたせいで、この河は永遠に紅いままなのだ。
平和な現代からは想像もつかないだろうが、あの当時は文字通り命を賭けた闘いが、この場所で繰り広げられていた。いや、この場所だけでなく、あの頃は皆、生きていくのに必死だった。
身分制度の線引きが、江戸の時代ほどはっきりとはされていない頃だった。一部の特権階級の人々以外は皆、清潔な衣服を確保し、少しでも栄養価の高い食物を手に入れ、安心して眠れる家を築こうと自らの仕事に励んだ。生活とは、生を活かす術に他ならなかった………。
静かに過去を振り返っている直江の前を、比較的霊齢の若い霊が通り過ぎていく。
この場所には、合戦の死者に引き寄せられた為か、様々な霊齢の霊がいた。皆それぞれ自分のことに必死で、直江がいることにも気付いていない様子だ。
その様子が、直江の脳の中にある膨大な景色の記憶の中から半世紀前の大戦中の風景を呼び起こさせた。大空襲の最中の、あの生々しい地獄絵図と。
よほど大事な物が入っているのか、小さな桐の箱をそれを握る千切れた自分の腕ごと抱えて走る老人。親とははぐれてしまったのか、周囲の大人たちに押しつぶされながら手をつないで必死に逃げている幼い姉妹。小さな身体で寝たきりの老婆を背負って一生懸命に歩く女性。しかし老婆は、自分のことはもういいからどこぞへとすてて行ってくれと涙ながらに訴えている。
そこに若い男性の姿はなかった。皆、徴兵されてしまっているからだ。
死んでしまった母親の腕の中で泣き続けている乳飲み子を、やはり既に亡くなってしまった我が子を抱いて走る女性が蹴飛ばしていく………。
そして、それを目の前にして為す術なく立ち尽くす"彼"の嘆き。
───何なんだ、これは……!!
───自分たちはいったい、何のために存在しているのか……。
頭の中で鮮やかに甦る彼の悲痛な叫び声は、やがて直江を責める声へとスライドしていった。
───お前だけは、絶対に許さない!!
ぼんやりと眼の前の霊たちを眺めながら、直江は過去を振り返り続ける。
きっとここにいる霊たちも自分と同じように、過去に何かを抱えているからこそ今ここにいるのだろう。
そして互いに干渉しあうことなく、延々この場所に留まり続ける。
ふと、今と言う時代に似ていることに気が付いた。
空襲のような緊急事態でもないのに、周囲との関わりを断ち己の目的のみを追求する人々。社会という言葉が、人同士の繋がりで出来たもの、コミュニティではなく、単なる共有されたシステムのみを指差す言葉になってしまった。
律令国家の正しい在り方とは、こういうものなのだろうか。人々の平等を心から願っていた彼の目に、今の世はどう映るのだろうか……。
「───……」
どんな些細な事柄も、自然と"彼"へと繋げて考えてしまう自分がいる。
生死すらわからない状況になってなお、彼は自分を見えない鎖で縛り続けている。
そのことに気付いた直江は、苦しげに眉根を寄せた。
心の中に、複雑な感情を抱えながら………。
松本駅まで戻る途中、何だか厭な気配を感じてそちらの方向へと車を向けてみた。
そこは女鳥羽川沿いの、人気の少ない一角だったのだが、
(………酷い霊気だな)
どす黒い霊気が異臭を放ちながら、濃霧のように吹きだまっている。
その中心に、まだ亡くなって間もないあろう女性の霊がぽつんと立っていた。
黒くて、長い髪。
一瞬、自分が犯し、殺したあの聖母が脳裏に浮かぶ。
女性の霊はこちらに気付いて、か細い声で言った。
───あのひとを返して
どきりとした。
自分の過去を覗き見されているような錯覚を覚えながら、直江は問い返す。
「何のことだ」
───……私の夫
「……誰かに奪われたのか」
───ええ、あの女に
女の顔がひどく曇った。
───だから殺してあのひとを取り返してやろうと思ったら
くるりと後ろを向くと、
───このざまよ
その背中には、深々と包丁が突き刺さっていた。
周囲の皮膚は腐り、肉が爛れ落ちている。
───ああ、痛い
女はそう言いながら、再びこちらを向いた。
よく見れば、乱れた衣服からのびる手足も腐食が始まっている。
「……………」
自業自得、だろうか。
浮気相手を殺したからといって、夫が自分の元へと帰ってくる訳でもないだろうに。
(俺が言えた義理じゃないな………)
どちらにしても、彼女は自分の命でその過ちの代償は払った。
過去の呪縛から解放されたって、誰も文句は言わないだろう。
「楽になりたいだろう?」
ところが、直江が話しかけた時にはすでに女は自分の世界へと戻って行った後だった。
───あなたがミユキさん?
あらぬ方へむかって話しかけている。
───お話があるんです
彼女の目には、自分を殺した浮気相手の幻が見えているらしかった。
直江の胸が、罪悪感で痛みだす。
今日、松本の駅へ降り立ったときに感じた予感は、この女性との出会いを暗示していたのだろうか。自分の過去を抉り出すような、この出会いを。運命の神は、随分と苦々しいハプニングを目論んでくれたものだ。
───そう。どうしても別れないというんですね……
女は包丁を手元のカバンから取りだす仕草をしている。
延々とプレイバックされる過去。それがどれほど苦しいものか、直江はよく知っていた。
覚悟を決めて、印を結ぶ。
「来世ではきっとすべてがうまくいく」
呟きながら、そう祈りをこめて。
「なうまくさまんだぼだなん───」
───なら、こうするしかないわね……っ!!
「《調伏》」
直江の宣言で、ナイフを何もないところに向かって突き立てる仕草をしていた女を大きな光がすっぽりと包んでいく。
その姿が消える最後の瞬間、彼女は何故か西の方向をすっと指差した。そして、
───ありがとう
間違いなく、そう言った。
「───……」
合掌を解いた直江は、光が全て収束した後もその場にじっと立ち尽くした。
黒い霊気がさらさらと風に吹かれて飛ばされていく。
数え切れぬほど行ってきた調伏と言う行為だが、大抵は暴力としか言いようのない使い方になってしまう。彼女のように、調伏を救いとして捉えて貰えることは、直江に取っても嬉しいことだった。
そして、それこそが"彼"の目指した《調伏》だった。
「────景虎様……」
左手首の傷が疼きだす。堪えるように拳を強く握った。
「……景虎様………っ」
無性に彼に会いたかった。
会って、自分は独りでいてもあなたのいう理想を現実のものとすべく努力しているのだと報告したかった。こんなにも自分はあなたのことばかり考えている、いつだってあなたとともに生きているのだと。
時折発作のように訪れるその感覚を無理やり心の奥底へ押し込むと、直江は彼女への線香代わりにと煙草を取り出して、封の開いていないその青い箱をそのまま地面に置いた。
あれからもう、四半世紀が経ってしまった。
自分はいったいいつまでこんなことをやっていなければいけないのだろう。
両の手をポケットにいれたまま、しばらく前髪を風に煽られていた直江は、やがてあきらめたように目を閉じると、踵を返して車に乗り込んだ。
(いつまで、なんて考えても無駄だ)
大事なのは、今すべきことがきちんと出来ているかどうか。
いつかに言われた言葉を胸のうちで唱える。
再び無意識のうちに景虎へと繋げて考えていることに気付かないまま、直江は車のキーをまわすと、ゆっくりと車を発進させた。
≫≫ 後編
※ 更新後に直江は川中島の合戦に参加していないことを知りました。
勉強不足で、申し訳ありませんでした~!
それなのに「あずさ」から降りた直江が駅の外に出てみると、肌がどこか懐かしい匂いを感じ取ったのだ。
前生でも、特に馴染みがあった土地という訳ではないのだが。
「───………」
妙な予感を感じた。
この土地には、きっと何かがある。
自分にとって、大きな意味を持つ何かが………。
そんなことを思いながら、直江は一路松本城へと向かって歩き出した。
今回の旅の目的は、調査だ。
調査内容は、松本城をはじめとした信州方面の戦国縁の地を巡って怨将の、とくに武田方に表立った動きがないかを探るというもの。何か事件がおきて、それに関わることを至急調べなくてはならないという訳ではないから、直江としては気が楽だった。
松本城周辺に変わった様子はないと判断した直江は、既に手配をしてあったレンタカーに乗り込み、妻女山やその他思いついた場所を順繰りに巡って行く。どこも平和そのものの景色が広がっていたが、妻女山では自分に気付いて襲ってた武田方の霊を何体か調伏した。
最後に、川中島へとやってくる。
目前に流れる千曲川を、いつも使っているのとは違う眼で見てみれば、すぐに紅く染まっているのが見て取れた。
いつの時代に訪れても、この河の紅さが薄まることはない。予想はしていたが、他の場所とは比べ物にならないくらい地縛霊が多かった。
遠い昔、最初の換生時にここを訪れた際は、武田どころか混乱した上杉方の霊までが大量に襲いかかってきて、調伏しまくったものだった。
あれから四〇〇年が経つというのに未だにこれだけの地縛霊が残っているということは、それだけの人が死んだということなのだろう。龍虎が猛々しくぶつかり合った、あの合戦で。
実際、当時の千曲川は本物の血で紅く染まっていた。
周囲にいた仲間たちの決死の形相が思い返される。きっと自分も同じような顔をしていたに違いない。
あの時の強い想いは、この土地に染み込んだままずっと残り続けていくのかもしれない。自分たちの想いが濃すぎたせいで、この河は永遠に紅いままなのだ。
平和な現代からは想像もつかないだろうが、あの当時は文字通り命を賭けた闘いが、この場所で繰り広げられていた。いや、この場所だけでなく、あの頃は皆、生きていくのに必死だった。
身分制度の線引きが、江戸の時代ほどはっきりとはされていない頃だった。一部の特権階級の人々以外は皆、清潔な衣服を確保し、少しでも栄養価の高い食物を手に入れ、安心して眠れる家を築こうと自らの仕事に励んだ。生活とは、生を活かす術に他ならなかった………。
静かに過去を振り返っている直江の前を、比較的霊齢の若い霊が通り過ぎていく。
この場所には、合戦の死者に引き寄せられた為か、様々な霊齢の霊がいた。皆それぞれ自分のことに必死で、直江がいることにも気付いていない様子だ。
その様子が、直江の脳の中にある膨大な景色の記憶の中から半世紀前の大戦中の風景を呼び起こさせた。大空襲の最中の、あの生々しい地獄絵図と。
よほど大事な物が入っているのか、小さな桐の箱をそれを握る千切れた自分の腕ごと抱えて走る老人。親とははぐれてしまったのか、周囲の大人たちに押しつぶされながら手をつないで必死に逃げている幼い姉妹。小さな身体で寝たきりの老婆を背負って一生懸命に歩く女性。しかし老婆は、自分のことはもういいからどこぞへとすてて行ってくれと涙ながらに訴えている。
そこに若い男性の姿はなかった。皆、徴兵されてしまっているからだ。
死んでしまった母親の腕の中で泣き続けている乳飲み子を、やはり既に亡くなってしまった我が子を抱いて走る女性が蹴飛ばしていく………。
そして、それを目の前にして為す術なく立ち尽くす"彼"の嘆き。
───何なんだ、これは……!!
───自分たちはいったい、何のために存在しているのか……。
頭の中で鮮やかに甦る彼の悲痛な叫び声は、やがて直江を責める声へとスライドしていった。
───お前だけは、絶対に許さない!!
ぼんやりと眼の前の霊たちを眺めながら、直江は過去を振り返り続ける。
きっとここにいる霊たちも自分と同じように、過去に何かを抱えているからこそ今ここにいるのだろう。
そして互いに干渉しあうことなく、延々この場所に留まり続ける。
ふと、今と言う時代に似ていることに気が付いた。
空襲のような緊急事態でもないのに、周囲との関わりを断ち己の目的のみを追求する人々。社会という言葉が、人同士の繋がりで出来たもの、コミュニティではなく、単なる共有されたシステムのみを指差す言葉になってしまった。
律令国家の正しい在り方とは、こういうものなのだろうか。人々の平等を心から願っていた彼の目に、今の世はどう映るのだろうか……。
「───……」
どんな些細な事柄も、自然と"彼"へと繋げて考えてしまう自分がいる。
生死すらわからない状況になってなお、彼は自分を見えない鎖で縛り続けている。
そのことに気付いた直江は、苦しげに眉根を寄せた。
心の中に、複雑な感情を抱えながら………。
松本駅まで戻る途中、何だか厭な気配を感じてそちらの方向へと車を向けてみた。
そこは女鳥羽川沿いの、人気の少ない一角だったのだが、
(………酷い霊気だな)
どす黒い霊気が異臭を放ちながら、濃霧のように吹きだまっている。
その中心に、まだ亡くなって間もないあろう女性の霊がぽつんと立っていた。
黒くて、長い髪。
一瞬、自分が犯し、殺したあの聖母が脳裏に浮かぶ。
女性の霊はこちらに気付いて、か細い声で言った。
───あのひとを返して
どきりとした。
自分の過去を覗き見されているような錯覚を覚えながら、直江は問い返す。
「何のことだ」
───……私の夫
「……誰かに奪われたのか」
───ええ、あの女に
女の顔がひどく曇った。
───だから殺してあのひとを取り返してやろうと思ったら
くるりと後ろを向くと、
───このざまよ
その背中には、深々と包丁が突き刺さっていた。
周囲の皮膚は腐り、肉が爛れ落ちている。
───ああ、痛い
女はそう言いながら、再びこちらを向いた。
よく見れば、乱れた衣服からのびる手足も腐食が始まっている。
「……………」
自業自得、だろうか。
浮気相手を殺したからといって、夫が自分の元へと帰ってくる訳でもないだろうに。
(俺が言えた義理じゃないな………)
どちらにしても、彼女は自分の命でその過ちの代償は払った。
過去の呪縛から解放されたって、誰も文句は言わないだろう。
「楽になりたいだろう?」
ところが、直江が話しかけた時にはすでに女は自分の世界へと戻って行った後だった。
───あなたがミユキさん?
あらぬ方へむかって話しかけている。
───お話があるんです
彼女の目には、自分を殺した浮気相手の幻が見えているらしかった。
直江の胸が、罪悪感で痛みだす。
今日、松本の駅へ降り立ったときに感じた予感は、この女性との出会いを暗示していたのだろうか。自分の過去を抉り出すような、この出会いを。運命の神は、随分と苦々しいハプニングを目論んでくれたものだ。
───そう。どうしても別れないというんですね……
女は包丁を手元のカバンから取りだす仕草をしている。
延々とプレイバックされる過去。それがどれほど苦しいものか、直江はよく知っていた。
覚悟を決めて、印を結ぶ。
「来世ではきっとすべてがうまくいく」
呟きながら、そう祈りをこめて。
「なうまくさまんだぼだなん───」
───なら、こうするしかないわね……っ!!
「《調伏》」
直江の宣言で、ナイフを何もないところに向かって突き立てる仕草をしていた女を大きな光がすっぽりと包んでいく。
その姿が消える最後の瞬間、彼女は何故か西の方向をすっと指差した。そして、
───ありがとう
間違いなく、そう言った。
「───……」
合掌を解いた直江は、光が全て収束した後もその場にじっと立ち尽くした。
黒い霊気がさらさらと風に吹かれて飛ばされていく。
数え切れぬほど行ってきた調伏と言う行為だが、大抵は暴力としか言いようのない使い方になってしまう。彼女のように、調伏を救いとして捉えて貰えることは、直江に取っても嬉しいことだった。
そして、それこそが"彼"の目指した《調伏》だった。
「────景虎様……」
左手首の傷が疼きだす。堪えるように拳を強く握った。
「……景虎様………っ」
無性に彼に会いたかった。
会って、自分は独りでいてもあなたのいう理想を現実のものとすべく努力しているのだと報告したかった。こんなにも自分はあなたのことばかり考えている、いつだってあなたとともに生きているのだと。
時折発作のように訪れるその感覚を無理やり心の奥底へ押し込むと、直江は彼女への線香代わりにと煙草を取り出して、封の開いていないその青い箱をそのまま地面に置いた。
あれからもう、四半世紀が経ってしまった。
自分はいったいいつまでこんなことをやっていなければいけないのだろう。
両の手をポケットにいれたまま、しばらく前髪を風に煽られていた直江は、やがてあきらめたように目を閉じると、踵を返して車に乗り込んだ。
(いつまで、なんて考えても無駄だ)
大事なのは、今すべきことがきちんと出来ているかどうか。
いつかに言われた言葉を胸のうちで唱える。
再び無意識のうちに景虎へと繋げて考えていることに気付かないまま、直江は車のキーをまわすと、ゆっくりと車を発進させた。
≫≫ 後編
※ 更新後に直江は川中島の合戦に参加していないことを知りました。
勉強不足で、申し訳ありませんでした~!
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「"換生"って言ったか」
発進してすぐ、俺は橘に話しかけた。
「霊が生きている人間の身体を完全に乗っ取ることができるのか」
「ああ」
「見たことあるのか?」
「……………」
橘は無言だったけど、俺はそれをイエスととった。
ある意味、殺人現場を目撃したのと同じことだ。
是非、話を聞いてみたかった。
「身体を乗っ取った霊と、話をしたこともある?」
けれど、橘はあまり話したくないらしく、何を聞いても無言のままだった。
仕方なく俺も黙り込んで、もうすぐ宇都宮の駅につくかという時。
「そんなに換生に興味があるか」
橘の方から口を開いた。
「────もちろん!」
慌てて俺は返事をする。
車は、赤信号のために停車した。
橘が、ステアリングを握る手を緩める。
その動きを見つめていると、
「俺がその換生者だ」
「………え?」
一瞬、聞き違えたかと思った。
「四〇〇年前に初生を終えて以来、俺は他人の身体に換生しながら生き続けている」
「───何を言って………」
橘の無表情は、固まったように崩れない。
「換生者には、ルールがある」
橘の表情以上に身体を硬くした俺に、橘は話を続ける。
「自分が換生者であるということを他人に知られてしまったら」
ステアリングを緩く掴んでいた拳が、ぎゅっと握られた。
「その人間を殺さなければならないんだ」
俺は息をのんだ。
「───あ……」
恐怖で身体が動かない。
頭がうまく働かず、どうしていいかわからない。
とりあえず、何か言わないと。
笑い飛ばす?それとも───命乞い?
………が、しかし。
「冗談だ」
橘のそのひとことで、俺の頭は再び真っ白になった。
信号が青に変わって、車が動き出す。
「───っだあああ!マジで怖えぇ~~~!!」
俺は年甲斐もなく、叫んでしまった。
けれどそのお陰で、身体がほぐれてホッと息をつく。
「いやあ、してやられたなあ~」
笑いながら辺りを見回すと、まもなく駅前のようだ。
あのアヤコじゃないけれど、安心したら腹が減って来た。
駅弁はやっぱり餃子かな、なんて考えながら何気なく隣の橘を見ると、
(あれ……?)
まだ、あの無表情のままだった。
それで、ふと嫌な考えが過ぎる。
(どこからどこまでが冗談……?)
再び全身を寒気が襲って、言い知れぬ恐怖に必死で堪えていると、
「!?」
車がぴたりと止まった。
(ええええ!?)
心臓をバクバク言わせながら橘を見ると、一言。
「降りろ」
駅に着いたのだ。
「あ、ありがとうございました」
車を降りて、きちんと敬語であいさつしながらお辞儀をすると、サイドウィンドウが開く。
「もう二度と、俺の前に現れないように」
かなりきついことをさらりと口にした橘は、
「それから」
やっと無表情を崩して、微笑を浮かべた。
「お父さんを大切に」
「………はい」
窓を閉めると、ベンツは、軽快なエンジン音をたてて走り去っていく。
俺はしばらく突っ立って見送っていたが、切符を買わなければと思ってのろのろと改札へ移動した。
帰ったらチーフになんて報告しよう。
この世のものとは思えない体験のこと。食いしん坊でちょっと調子のいい女子大生霊能者のこと。そして、掴みどころのないあの男のこと。
話しても、信じて貰えないかもしれない。
「………まあ、いっか」
とりあえずは週末、母親でも誘って、父親の墓参りにいこうと思った。
07 ≪≪
発進してすぐ、俺は橘に話しかけた。
「霊が生きている人間の身体を完全に乗っ取ることができるのか」
「ああ」
「見たことあるのか?」
「……………」
橘は無言だったけど、俺はそれをイエスととった。
ある意味、殺人現場を目撃したのと同じことだ。
是非、話を聞いてみたかった。
「身体を乗っ取った霊と、話をしたこともある?」
けれど、橘はあまり話したくないらしく、何を聞いても無言のままだった。
仕方なく俺も黙り込んで、もうすぐ宇都宮の駅につくかという時。
「そんなに換生に興味があるか」
橘の方から口を開いた。
「────もちろん!」
慌てて俺は返事をする。
車は、赤信号のために停車した。
橘が、ステアリングを握る手を緩める。
その動きを見つめていると、
「俺がその換生者だ」
「………え?」
一瞬、聞き違えたかと思った。
「四〇〇年前に初生を終えて以来、俺は他人の身体に換生しながら生き続けている」
「───何を言って………」
橘の無表情は、固まったように崩れない。
「換生者には、ルールがある」
橘の表情以上に身体を硬くした俺に、橘は話を続ける。
「自分が換生者であるということを他人に知られてしまったら」
ステアリングを緩く掴んでいた拳が、ぎゅっと握られた。
「その人間を殺さなければならないんだ」
俺は息をのんだ。
「───あ……」
恐怖で身体が動かない。
頭がうまく働かず、どうしていいかわからない。
とりあえず、何か言わないと。
笑い飛ばす?それとも───命乞い?
………が、しかし。
「冗談だ」
橘のそのひとことで、俺の頭は再び真っ白になった。
信号が青に変わって、車が動き出す。
「───っだあああ!マジで怖えぇ~~~!!」
俺は年甲斐もなく、叫んでしまった。
けれどそのお陰で、身体がほぐれてホッと息をつく。
「いやあ、してやられたなあ~」
笑いながら辺りを見回すと、まもなく駅前のようだ。
あのアヤコじゃないけれど、安心したら腹が減って来た。
駅弁はやっぱり餃子かな、なんて考えながら何気なく隣の橘を見ると、
(あれ……?)
まだ、あの無表情のままだった。
それで、ふと嫌な考えが過ぎる。
(どこからどこまでが冗談……?)
再び全身を寒気が襲って、言い知れぬ恐怖に必死で堪えていると、
「!?」
車がぴたりと止まった。
(ええええ!?)
心臓をバクバク言わせながら橘を見ると、一言。
「降りろ」
駅に着いたのだ。
「あ、ありがとうございました」
車を降りて、きちんと敬語であいさつしながらお辞儀をすると、サイドウィンドウが開く。
「もう二度と、俺の前に現れないように」
かなりきついことをさらりと口にした橘は、
「それから」
やっと無表情を崩して、微笑を浮かべた。
「お父さんを大切に」
「………はい」
窓を閉めると、ベンツは、軽快なエンジン音をたてて走り去っていく。
俺はしばらく突っ立って見送っていたが、切符を買わなければと思ってのろのろと改札へ移動した。
帰ったらチーフになんて報告しよう。
この世のものとは思えない体験のこと。食いしん坊でちょっと調子のいい女子大生霊能者のこと。そして、掴みどころのないあの男のこと。
話しても、信じて貰えないかもしれない。
「………まあ、いっか」
とりあえずは週末、母親でも誘って、父親の墓参りにいこうと思った。
07 ≪≪
「あ、起きた」
気がつくと、俺は公園のベンチで横になっていた。
痛む頭を抑えながら、ゆっくりと身体を起こす。
「あれ……俺、どうして……」
すぐ隣に立っていたアヤコに尋ねはしたものの、すぐに状況を思い出した。
足元のほうには、橘が立っている。
「なんだったんだ、アレは」
その端正な顔に、思わず尋ねていた。ところが、
「憑依されたのよ」
答えは別のところから返ってきた。
アヤコがほっとした顔をしながら説明してくれる。
「ヒョウイ?」
「霊に身体を乗っ取られたの」
「───……」
それを聞いて、俺は言葉を失った。
「───まさか」
「だって、感じたでしょう?自分の身体の中に霊がいるのを」
「霊………アレが?」
思わず腹のあたりをさすっていた。
(そうか……アレが……)
急激に、気分の悪さが吹き飛ぶくらいの高揚感が湧き上がってきた。
「……すげえ!ああ……!カメラまわしときたかった……!」
ああああ、と言いながら俺が悔しそうに頭をかきむしっていると、
「あんた、全然わかってないのね」
アヤコがあきれた視線を送ってきた。
「え?」
「換生されかけたのよ、あんた」
「カンショウ?」
そんな専門用語を言われても、よくわからない。
「身体から追い出されそうになったでしょう?霊が他人の身体を乗っ取ることを換生っていうの。あんた、あそこで身体から出てたら、死んでたわよ」
「……まさか」
真剣な表情のアヤコに頷かれて、思わず橘の方をみると、
「本当だ」
「───……っ」
そこで初めて、俺はぞっとした。
あの頭上に見えた光のあたたかさが思い出されて、それとは真逆の寒気が背中を走る。
「君たちが助けてくれたのか」
「あんたがしぶとく身体にしがみついてたから、助かったのよ」
「………声が聞こえたんだ」
そう、あの声がなければ、俺は今頃あの世にいただろう。
「身体を手放すなって、必死に叫んでて。あれは誰の声だったんだろう」
俺の言葉に、ふたりは顔を見合わせた。
しばらくして、
「随分早くに亡くなってるのね、お父さん」
アヤコがそう言った。
「あなたより、若くみえる」
「────え?」
確かに父は、自分が物ごころつく前に亡くなった。
去年、俺はとうとう父が亡くなった時の歳を追い越したのだ。
「なんで………」
俺はハッと気がついた。
「いるのか、ここに」
慌てて周囲を見渡す。もちろん、何も見える訳が無いが。
「見えないのは、父親がお前を守るためにそうしているからなんだ」
橘が、俺の心を読んだかの様に言った。
「お前は本当は、かなり霊力が強いはずだ。けれど今まで雑霊や悪霊に煩わされることなくこれたのは、父親がすべての霊現象を遮断しているからだろう」
「そんな………」
ふと頭に、祖母の顔が浮かんだ。小さい頃から霊感があったという祖母。
自分はその血を受け継いでいたのだろうか。
「なのに自分から首を突っ込むような真似をして。それでも助けてくれた父親に感謝するんだな」
「親父………」
写真でしか知らない親だ。他人のようなつもりでいた。
なのにずっと一緒だったなんて。守っていてくれてたなんて。
(知らなかった……)
思わず俺が項垂れていると、
「げげ、私そろそろ帰らないと」
腕の時計を見ながら、アヤコが言い出した。
「暗くなる前に着けるかなあ」
「横浜なら電車で来たほうが時間もかからないし、楽だろうに」
「なんかさあ、電車とか乗っちゃうと浮気してる気分になっちゃうのよねえ。北海道だって沖縄だって、近所のコンビニだって、エッちゃんと一緒じゃないと」
そう言うと、しょげている俺なんかには目もくれず、メットを被ってバイクに跨った。
「じゃあ、また連絡するわ」
「ああ」
ああ、待って!せめて連絡先を……と思っているうちに、バイクは走り去ってしまう。
ぽかんとしながらその方向を眺めていると、
「もう立てるだろう」
橘が言ってきた。
今気付いたけど、橘はすっかり敬語じゃなくなっている。
俺の方が年上だっていうのに。
「駅まで送ろう」
「……悪いね」
対抗するようにタメ口で返事をすると、ふたりしてベンツに乗り込んだ。
06 ≪≪ ≫≫ 08
気がつくと、俺は公園のベンチで横になっていた。
痛む頭を抑えながら、ゆっくりと身体を起こす。
「あれ……俺、どうして……」
すぐ隣に立っていたアヤコに尋ねはしたものの、すぐに状況を思い出した。
足元のほうには、橘が立っている。
「なんだったんだ、アレは」
その端正な顔に、思わず尋ねていた。ところが、
「憑依されたのよ」
答えは別のところから返ってきた。
アヤコがほっとした顔をしながら説明してくれる。
「ヒョウイ?」
「霊に身体を乗っ取られたの」
「───……」
それを聞いて、俺は言葉を失った。
「───まさか」
「だって、感じたでしょう?自分の身体の中に霊がいるのを」
「霊………アレが?」
思わず腹のあたりをさすっていた。
(そうか……アレが……)
急激に、気分の悪さが吹き飛ぶくらいの高揚感が湧き上がってきた。
「……すげえ!ああ……!カメラまわしときたかった……!」
ああああ、と言いながら俺が悔しそうに頭をかきむしっていると、
「あんた、全然わかってないのね」
アヤコがあきれた視線を送ってきた。
「え?」
「換生されかけたのよ、あんた」
「カンショウ?」
そんな専門用語を言われても、よくわからない。
「身体から追い出されそうになったでしょう?霊が他人の身体を乗っ取ることを換生っていうの。あんた、あそこで身体から出てたら、死んでたわよ」
「……まさか」
真剣な表情のアヤコに頷かれて、思わず橘の方をみると、
「本当だ」
「───……っ」
そこで初めて、俺はぞっとした。
あの頭上に見えた光のあたたかさが思い出されて、それとは真逆の寒気が背中を走る。
「君たちが助けてくれたのか」
「あんたがしぶとく身体にしがみついてたから、助かったのよ」
「………声が聞こえたんだ」
そう、あの声がなければ、俺は今頃あの世にいただろう。
「身体を手放すなって、必死に叫んでて。あれは誰の声だったんだろう」
俺の言葉に、ふたりは顔を見合わせた。
しばらくして、
「随分早くに亡くなってるのね、お父さん」
アヤコがそう言った。
「あなたより、若くみえる」
「────え?」
確かに父は、自分が物ごころつく前に亡くなった。
去年、俺はとうとう父が亡くなった時の歳を追い越したのだ。
「なんで………」
俺はハッと気がついた。
「いるのか、ここに」
慌てて周囲を見渡す。もちろん、何も見える訳が無いが。
「見えないのは、父親がお前を守るためにそうしているからなんだ」
橘が、俺の心を読んだかの様に言った。
「お前は本当は、かなり霊力が強いはずだ。けれど今まで雑霊や悪霊に煩わされることなくこれたのは、父親がすべての霊現象を遮断しているからだろう」
「そんな………」
ふと頭に、祖母の顔が浮かんだ。小さい頃から霊感があったという祖母。
自分はその血を受け継いでいたのだろうか。
「なのに自分から首を突っ込むような真似をして。それでも助けてくれた父親に感謝するんだな」
「親父………」
写真でしか知らない親だ。他人のようなつもりでいた。
なのにずっと一緒だったなんて。守っていてくれてたなんて。
(知らなかった……)
思わず俺が項垂れていると、
「げげ、私そろそろ帰らないと」
腕の時計を見ながら、アヤコが言い出した。
「暗くなる前に着けるかなあ」
「横浜なら電車で来たほうが時間もかからないし、楽だろうに」
「なんかさあ、電車とか乗っちゃうと浮気してる気分になっちゃうのよねえ。北海道だって沖縄だって、近所のコンビニだって、エッちゃんと一緒じゃないと」
そう言うと、しょげている俺なんかには目もくれず、メットを被ってバイクに跨った。
「じゃあ、また連絡するわ」
「ああ」
ああ、待って!せめて連絡先を……と思っているうちに、バイクは走り去ってしまう。
ぽかんとしながらその方向を眺めていると、
「もう立てるだろう」
橘が言ってきた。
今気付いたけど、橘はすっかり敬語じゃなくなっている。
俺の方が年上だっていうのに。
「駅まで送ろう」
「……悪いね」
対抗するようにタメ口で返事をすると、ふたりしてベンツに乗り込んだ。
06 ≪≪ ≫≫ 08
その森には、いくつかのアスレチックが間隔をあけて設置されていたが、遊ぶ児童の姿はなかった。
たぶん植林された人工の森ではあると思うけれど、結構立派な樹木が立ち並んでいる。
その間を、コンクリートで固められたこれまた人工の小さな川が流れていた。
足の速いふたりにやっと俺が追いつくと、ふたりはその水が流れる一角を見つめていた。
「何よ、アレ。人?」
「──のなれの果て、だろうな」
明らかにふたりとも同じ何かをみている。けど、俺には何も見えなかった。
目を凝らしてみても、細めてみても、横目に見てみても。
これは、間違いなく───。
「いるんですか?幽霊」
おそるおそる俺が聞くと、
「下がってろ」
「危ないわよ」
何かから視線を外さないでいるふたりから、それぞれに答えが返ってきた。
(そう言われたってねえ……)
俺もこんなチャンスを逃すわけにはいかない。
心霊写真が撮れるかもしれないと、携帯をポケットから取り出してカメラを起動した俺は、
「どこ?ここらへんですか」
意味もなく身体を低くしながら、忍び足でふたりの見つめるあたりへ寄って行った。
「ちょっと!!」
「いい加減にしろ!!」
ふたりが同時に叫んだその瞬間、
「!?」
身体の中に生温かい風が吹き込んだ気がした。
とたんに吐き気が込み上げてきて、頭がガンガンと痛くなる。
「うわっ……!何だ……!?」
手足に痛みとしびれを感じて、立っていられなくなった。
膝から崩れ落ちるようにして、地面に手を着く。が、着いた腕に力が入らなくて倒れ込んだ。
(何だ!?何なんだ!?)
この間見たばかりの映画の、脇役が殺人ウィルスに感染するシーンが蘇る。
(感染症……?死ぬのか……!?)
おかしなもので、心霊現象だという認識は全く起きなかった。
俺は心の底では、やっぱり幽霊なんて信じていなかったんだと思う。
額や背中に大量の汗が伝っているのがわかる。
口の中がカラカラに乾いていた。
「たすけ……」
言葉がうまく紡げない。
「換生する気よ、こいつ!」
「調伏するぞ!」
ものすごく遠くの方で、ふたりの声が聞こえた。
何を言っているのか聞きとりたいとは思うのだが、苦しくて気持ち悪くてそれどころじゃない。
その時。
───苦しいか?
腹の底から、低い声が聞こえた。
(え……?)
ささやき声なのに、こっちの声ははっきりと聞き取れる。
───苦しいのは肉体があるからだ
───肉体を手放してしまえば、楽になれる
(……どうすればいい?)
楽になりたい一心で問いかけた俺の頭上に、突然、明るい光が見えた。
───あそこへ行け
───そうしたら身体から離れられる
もう藁にも縋る思いで、そこを目指そうと顔を上げる。
すると今度は───。
━━━ダメだ!!行くんじゃない!!
今度は、背中の方から声が聞こえた。
━━━絶対に身体を手放すな!!
何故だかひどく懐かしい声が、必死に叫んでる。
でも気持ち悪いんだ。苦しいんだ。
なんとか楽になりたいんだ。
───早く楽になってしまえ
━━━言うことを聞いちゃだめだ!!
肉体的な苦痛と精神的な葛藤の二重苦の中、また新たな問題が訪れた。
頭上のものとは比べ物にならないくらい眩しい光が、眼の前から迫って来たのだ。
その光が身体に触れると、全身がものすごく熱くなった。
───ギャアアアアアア!!!
腹の声が、悲鳴を上げた。
光が身体の中で溢れかえり、切り裂かれるような痛みが全身に走る。
稲妻が身体の中で暴れまわっているようだった。
やがて腹から聞こえる悲鳴が完全に途切れた時、もその光の熱さに耐えきれなくなって意識を手放した。
05 ≪≪ ≫≫ 07
たぶん植林された人工の森ではあると思うけれど、結構立派な樹木が立ち並んでいる。
その間を、コンクリートで固められたこれまた人工の小さな川が流れていた。
足の速いふたりにやっと俺が追いつくと、ふたりはその水が流れる一角を見つめていた。
「何よ、アレ。人?」
「──のなれの果て、だろうな」
明らかにふたりとも同じ何かをみている。けど、俺には何も見えなかった。
目を凝らしてみても、細めてみても、横目に見てみても。
これは、間違いなく───。
「いるんですか?幽霊」
おそるおそる俺が聞くと、
「下がってろ」
「危ないわよ」
何かから視線を外さないでいるふたりから、それぞれに答えが返ってきた。
(そう言われたってねえ……)
俺もこんなチャンスを逃すわけにはいかない。
心霊写真が撮れるかもしれないと、携帯をポケットから取り出してカメラを起動した俺は、
「どこ?ここらへんですか」
意味もなく身体を低くしながら、忍び足でふたりの見つめるあたりへ寄って行った。
「ちょっと!!」
「いい加減にしろ!!」
ふたりが同時に叫んだその瞬間、
「!?」
身体の中に生温かい風が吹き込んだ気がした。
とたんに吐き気が込み上げてきて、頭がガンガンと痛くなる。
「うわっ……!何だ……!?」
手足に痛みとしびれを感じて、立っていられなくなった。
膝から崩れ落ちるようにして、地面に手を着く。が、着いた腕に力が入らなくて倒れ込んだ。
(何だ!?何なんだ!?)
この間見たばかりの映画の、脇役が殺人ウィルスに感染するシーンが蘇る。
(感染症……?死ぬのか……!?)
おかしなもので、心霊現象だという認識は全く起きなかった。
俺は心の底では、やっぱり幽霊なんて信じていなかったんだと思う。
額や背中に大量の汗が伝っているのがわかる。
口の中がカラカラに乾いていた。
「たすけ……」
言葉がうまく紡げない。
「換生する気よ、こいつ!」
「調伏するぞ!」
ものすごく遠くの方で、ふたりの声が聞こえた。
何を言っているのか聞きとりたいとは思うのだが、苦しくて気持ち悪くてそれどころじゃない。
その時。
───苦しいか?
腹の底から、低い声が聞こえた。
(え……?)
ささやき声なのに、こっちの声ははっきりと聞き取れる。
───苦しいのは肉体があるからだ
───肉体を手放してしまえば、楽になれる
(……どうすればいい?)
楽になりたい一心で問いかけた俺の頭上に、突然、明るい光が見えた。
───あそこへ行け
───そうしたら身体から離れられる
もう藁にも縋る思いで、そこを目指そうと顔を上げる。
すると今度は───。
━━━ダメだ!!行くんじゃない!!
今度は、背中の方から声が聞こえた。
━━━絶対に身体を手放すな!!
何故だかひどく懐かしい声が、必死に叫んでる。
でも気持ち悪いんだ。苦しいんだ。
なんとか楽になりたいんだ。
───早く楽になってしまえ
━━━言うことを聞いちゃだめだ!!
肉体的な苦痛と精神的な葛藤の二重苦の中、また新たな問題が訪れた。
頭上のものとは比べ物にならないくらい眩しい光が、眼の前から迫って来たのだ。
その光が身体に触れると、全身がものすごく熱くなった。
───ギャアアアアアア!!!
腹の声が、悲鳴を上げた。
光が身体の中で溢れかえり、切り裂かれるような痛みが全身に走る。
稲妻が身体の中で暴れまわっているようだった。
やがて腹から聞こえる悲鳴が完全に途切れた時、もその光の熱さに耐えきれなくなって意識を手放した。
05 ≪≪ ≫≫ 07
橘が車を停めたのは、公園やらアスレチックやらグラウンドやら、ファミリー向けの公営施設が立ち並ぶ敷地内の一角にある駐車場だった。
平日のため停まっている車はまばらだが、幹線道路も近いことだし週末になれば家族連れで混み合うのかもしれない。
何とか許容範囲内に収まった料金を支払ってタクシーを降りると、同じく車から降りた橘がちょうど誰かに声をかけているところだった。
先に到着していたらしいその女性は、中型バイクの傍に立ってウェーブの髪をかきあげている。若いだけでなく、ものすごい美人だ。
「待たせたな」
「ううん。悪いわね、仕事中なのに」
橘は、俺が尾けてきたことに気付いてない訳がないと思うのだが、放っておくつもりなのかこちらを見ようともしない。
「めずらしいな。お前が食事をねだらないなんて」
「ほら、最近のSAってそれぞれ名物があったりするじゃない?これが結構いけるもんだからさあ。制覇しちゃった」
「…………太るぞ」
それを聞いて、女性は眉を吊り上げた。
「ちょっと!自分の好みが不健康そうな女だからって、世の男がみんなそうだと思ったら大間違いよ!健康的な方が好きって人は、い~~っぱいいるんだからね!」
彼女はそう叫んだが、俺の見る限り言うほど太ってはいないし、むしろスマートなほうだ。
ぴったりとしたライダー用のパンツが身体のラインをあらわにしていてとってもセクシーだと思う。
「わかったから怒鳴るな。───で、例のものは」
「ああ、そうだったわね」
女性は懐から小さな布に包んだ何かを出すと、橘へと手渡した。
「後は頼んだわよ」
「ああ、抜魂はこちらでしておく。ご苦労だったな」
(バッコン……?)
霊能界の業界用語なのだろうか。とすると、もしかしたら彼女も橘の同業者なのかもしれない。
聞きなれない言葉だから忘れないようにと手帳に書きつけていると、不意に女性がこちらをじっと見てきた。
「ねえ、あの人さっきからこっちばっか見てない?……ナンパかしら」
「そんな訳がないだろう。いいから、気にするな」
あきれた顔をしている橘に、でもぉ、と女性が口を尖らせる。
チャンス!と俺は心の中で叫んだ。
話しかけるなら、話題に上った今しかない。
俺は、バタバタと走り寄って二人の会話に割って入った。
「お取り込み中のところ失礼します!」
「───……」
橘は返事すらしてくれなかったが、俺は構わずに続ける。
「橘さん、やっぱりもう一度考え直してもらえませんか!?」
「………くどいな」
そう言ってため息をつく橘とは、これ以上会話になりそうにない。
(やっぱり無理か……)
そんな俺の落胆を帳消しにしてくれたのは、女性のほうだった。
「なんだ、知り合いだったのね」
「いや───」
「ええ、そうなんです。実は私、こういう者なんですけども……」
すかさず俺は、名刺を手渡す。
「制作会社?」
「はい、テレビ番組なんかを作る会社で───」
「えええ!?直江、テレビでんの!?」
「出るわけないだろう」
相変わらずにべもない橘だったが、俺は彼女が聞きなれない名前で橘を呼んだことが気になった。
「ナオエというのは、霊能者としての源氏名ですか?」
「源氏名?うーん、ちょっと違うんだけど」
「晴家。相手にするな」
俺の耳がピクピクと動く。
女性のほうは"ハルイエ"さんというらしい。
「だって……」
「じゃあ、番組のタイトルは『イケメン霊能力者・ナオエが行く!』に変更しましょう」
俺がきっぱりと言うと、一瞬目を丸くしたハルイエさんは、大爆笑を始めた。
「ひ~~~っ、おっかし~~~!あなた、センスある~~~っ!」
「……ありがとうございます」
なんだか褒められている気はしなかったけれど、とりあえず礼を言っておいた。
とにかくタイトルというものは、印象に残ればいいのだから。
ハルイエさんは存分に笑ったあとで、
「ねえ、直江がやんないなら私がやろっか」
と、言い出した。
「ええ?」
「美人女子大生霊能者・綾子が行く!とかさ」
彼女はハルイエ・アヤコというらしい。
自分で"美人"をつけてしまうあたり、調子がいいなとは思ったが、それはそれで面白そうな企画だ。逃す手はない。
「ああ、やっぱりお姉さんも霊能者なんですか」
「そうよ~、霊査能力は直江なんかよりずっと上なんだから!」
「えええ!いやあ、お美しいのに実力までおありとは、まいったなあ」
「えへへ~、お美しいなんてそんなあ~」
「だってそこらのアイドルなんてメじゃないですよ」
「そう?そうかしらあ?」
俺のミエミエのお世辞に、アヤコの目じりはだらんと垂れ下がった。
もし橘が本当にダメなら、彼女に乗り換えようかと思い始めた矢先──。
「!?」
橘とアヤコが、ふたり同時にアスレチックのある森林地帯の方を振り返った。
「何!?」
「わからん」
真剣な表情で言葉を交わすと、ふたりしてそちらのほうへ駆け出して行ってしまう。
「え、ちょっと!」
俺は全く訳がわからなかったが、とりあえず後を追うしかなかった。
04 ≪≪ ≫≫ 06
平日のため停まっている車はまばらだが、幹線道路も近いことだし週末になれば家族連れで混み合うのかもしれない。
何とか許容範囲内に収まった料金を支払ってタクシーを降りると、同じく車から降りた橘がちょうど誰かに声をかけているところだった。
先に到着していたらしいその女性は、中型バイクの傍に立ってウェーブの髪をかきあげている。若いだけでなく、ものすごい美人だ。
「待たせたな」
「ううん。悪いわね、仕事中なのに」
橘は、俺が尾けてきたことに気付いてない訳がないと思うのだが、放っておくつもりなのかこちらを見ようともしない。
「めずらしいな。お前が食事をねだらないなんて」
「ほら、最近のSAってそれぞれ名物があったりするじゃない?これが結構いけるもんだからさあ。制覇しちゃった」
「…………太るぞ」
それを聞いて、女性は眉を吊り上げた。
「ちょっと!自分の好みが不健康そうな女だからって、世の男がみんなそうだと思ったら大間違いよ!健康的な方が好きって人は、い~~っぱいいるんだからね!」
彼女はそう叫んだが、俺の見る限り言うほど太ってはいないし、むしろスマートなほうだ。
ぴったりとしたライダー用のパンツが身体のラインをあらわにしていてとってもセクシーだと思う。
「わかったから怒鳴るな。───で、例のものは」
「ああ、そうだったわね」
女性は懐から小さな布に包んだ何かを出すと、橘へと手渡した。
「後は頼んだわよ」
「ああ、抜魂はこちらでしておく。ご苦労だったな」
(バッコン……?)
霊能界の業界用語なのだろうか。とすると、もしかしたら彼女も橘の同業者なのかもしれない。
聞きなれない言葉だから忘れないようにと手帳に書きつけていると、不意に女性がこちらをじっと見てきた。
「ねえ、あの人さっきからこっちばっか見てない?……ナンパかしら」
「そんな訳がないだろう。いいから、気にするな」
あきれた顔をしている橘に、でもぉ、と女性が口を尖らせる。
チャンス!と俺は心の中で叫んだ。
話しかけるなら、話題に上った今しかない。
俺は、バタバタと走り寄って二人の会話に割って入った。
「お取り込み中のところ失礼します!」
「───……」
橘は返事すらしてくれなかったが、俺は構わずに続ける。
「橘さん、やっぱりもう一度考え直してもらえませんか!?」
「………くどいな」
そう言ってため息をつく橘とは、これ以上会話になりそうにない。
(やっぱり無理か……)
そんな俺の落胆を帳消しにしてくれたのは、女性のほうだった。
「なんだ、知り合いだったのね」
「いや───」
「ええ、そうなんです。実は私、こういう者なんですけども……」
すかさず俺は、名刺を手渡す。
「制作会社?」
「はい、テレビ番組なんかを作る会社で───」
「えええ!?直江、テレビでんの!?」
「出るわけないだろう」
相変わらずにべもない橘だったが、俺は彼女が聞きなれない名前で橘を呼んだことが気になった。
「ナオエというのは、霊能者としての源氏名ですか?」
「源氏名?うーん、ちょっと違うんだけど」
「晴家。相手にするな」
俺の耳がピクピクと動く。
女性のほうは"ハルイエ"さんというらしい。
「だって……」
「じゃあ、番組のタイトルは『イケメン霊能力者・ナオエが行く!』に変更しましょう」
俺がきっぱりと言うと、一瞬目を丸くしたハルイエさんは、大爆笑を始めた。
「ひ~~~っ、おっかし~~~!あなた、センスある~~~っ!」
「……ありがとうございます」
なんだか褒められている気はしなかったけれど、とりあえず礼を言っておいた。
とにかくタイトルというものは、印象に残ればいいのだから。
ハルイエさんは存分に笑ったあとで、
「ねえ、直江がやんないなら私がやろっか」
と、言い出した。
「ええ?」
「美人女子大生霊能者・綾子が行く!とかさ」
彼女はハルイエ・アヤコというらしい。
自分で"美人"をつけてしまうあたり、調子がいいなとは思ったが、それはそれで面白そうな企画だ。逃す手はない。
「ああ、やっぱりお姉さんも霊能者なんですか」
「そうよ~、霊査能力は直江なんかよりずっと上なんだから!」
「えええ!いやあ、お美しいのに実力までおありとは、まいったなあ」
「えへへ~、お美しいなんてそんなあ~」
「だってそこらのアイドルなんてメじゃないですよ」
「そう?そうかしらあ?」
俺のミエミエのお世辞に、アヤコの目じりはだらんと垂れ下がった。
もし橘が本当にダメなら、彼女に乗り換えようかと思い始めた矢先──。
「!?」
橘とアヤコが、ふたり同時にアスレチックのある森林地帯の方を振り返った。
「何!?」
「わからん」
真剣な表情で言葉を交わすと、ふたりしてそちらのほうへ駆け出して行ってしまう。
「え、ちょっと!」
俺は全く訳がわからなかったが、とりあえず後を追うしかなかった。
04 ≪≪ ≫≫ 06