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 生きることと、命を繋ぎ止めることは違う。
 医療機器に囲まれ、チューブだらけで、意識なく寝ている人間を"生きている"と呼ぶのは、その人に生きていて欲しい周りの人間であって、本人の意思がどうであるかは、誰にも決められないはずだ。
 オレは、自分で歩く道を選択出来る。自分で選んだものでなければ、死んだも同然だと思う。そしてその道を往く為には、大転換が不可欠だ。
 つまり、オレはオレのために裏四国を為す。オレの願望のためにあの星を使う。
「渡さない。あなたが生きることが先だ!それよりも大事なことなんてありはしない!」
 そうだろう。わかってる。
 抗いながら思う。
 オレを失うことに恐怖するお前を、オレは責めもしないし否定もしない。もし逆の立場だったらと考えてもみた。お前の最期が迫っていて、オレはそれでも大転換を選択したのかと。
 正直、したとは言い切れない。
 オレは、お前がどんなに死を望んでも、あらゆる手段を使って、例えチューブだらけにしてもお前を生かすだろう。
 だからよくわかってる……。誰よりもよくわかってるんだ……直江。


 愛撫が悲鳴のようだった。
 出来るものならこのまま身を預けてしまいたい、と高耶は思った。そうすれば、少なくとも直江だけは、辛い思いをしないで済むのかもしれない。
 力を振り絞って抵抗してはいるが………もう、持ちそうにない………。
 あと数秒で堕ちる───
 3、2、1……
「おいっ!!」
 ギリギリのところで助け舟が入った。
 突如現れた薄い水の塊が男の頬を裂き、高耶を濡らす。押さえる手がわずかに緩んだところをついて、男を押し返した。
 組み敷かれ、劣勢になってそれでも見上げてくる鳶色の瞳は、諦めることを何よりも嫌う挑戦者の眼だ。戦うことを決して恐れず、常に上方を見つめている。絡みつくような熱い視線は、必死で押さえ込んだ衝動を呼び戻す。
 高耶は唇をよせた。
 安心しろ、などとはとても言えない。全て俺に任せて着いて来いなんて、安易な嘘はつけない。
 直江の不安や恐怖は底知れないものなのだろう。オレには到底埋めてやることもできないくらい。
 けれど、それほどの不安や恐怖を感じるからこそ、直江なのだ。そしてどんなに辛くても、もう開放はしてやれない。二度と離れないと誓ったのだから。
 心が、口移しで伝わればいいと、切に思う。


 願いを貫くと決めたんだ。
 オレの中の譲ることの出来ない真実。
 どうしても欲しいもの。知りたいこと。
 それがどんなに傲慢で、醜いものだとしても、もうごまかしたりしたくない。
 世間にも、お前にまで否定するようなものであったとしても、オレはもう逃げ出したりはしない。
 あきらめたくない。
 手に入れてみせる。
 阻むものは全て倒して進む覚悟だ。
 皮肉にもその強さを教えてくれたのは、お前なんだ……。


───オレの邪魔をするな」
 この世の終わりまで歩き続けなければならない。
 自分の大地を護り立ち続けるために、大転換を為す。立つ場を与えてくれた全ての存在のために、高耶は自分の答えを提示する。
 秒読みは既に始まっている。
 歴史上類を見ない大犯罪の準備が着々と進んでいる。この土地には決して消えることない疵痕が残るだろう。
 高耶は力を振り絞って立ち上がった。


 お前は認めはしないだろう。
 否定し、拒絶し、罵るだろう。
 だけどもう決して離しはしない。
 お前が泣いて叫ぶとしても、その嘆きすら俺のものであるなら、お前が決して離れないというのなら、オレにはもう怖いものはなにもない。
 お前の瞳が不安や恐怖や焦りや憎しみに染まっても、オレはその眼を見つめ返す。
 オレはお前の視線をいつまでも浴び続ける。
 オレの大地の上で、永劫。
 かなえてみせる。必ず。


 掴んで引き止められた腕を払う暇もなく、みぞおちに衝撃を感じた。
 意思とは関係ない生理的な機能が視界を暗くしていく。
 高耶は、意識を手放した。
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 求めていたのは、ほんとうはとても小さなことだった。
 
 些細なことでも抱え込んでしまう性格を、お前はよくわかっていた。
 現代でいう"ストレス"を溜め込んだオレを、よく外へと連れ出した。
 あの時間はオレにとって、とてつもない慰めとなっていた。
 お前にとってはどうだったんだろう。
 あの瞬間もお前は、オレに対する息苦しさを感じていたのか。
 ぽつり、ぽつりと言葉を交わしながら、色んなものを眼に焼いた。
 どんな何気ない景色にも、その瞬間にしかない輝きがある。
 過ぎゆく時間を感じれば感じるほど、そのことは身に染みて理解できたから。
 
 今では、連れ立って歩き同じ景色に心を留めることも無い。
 そんなささやかな時間すら贅沢になってしまった。
 その代わり、手にしたもの。
 凝り固まったオレの心を解し、昇華させる手段。
 お前だから可能なそれは、獣欲にまみれた酷いものだった。


 そこにあったのは、ただ皮を剥がれた欲望だった。
 
 暗闇に、荒い息遣いが充満している。
 誰もこんなところに来やしないのに、用心のためにと部屋を閉め切っているからだ。
 全ての光が遮られた部屋では、いつまで経っても目が慣れるということがない。
 闇が視界を塞ぐ中、男は何事かを耳元で囁きながら、ペースを落とすことなく自分を揺さぶり続けている。
 制止の声はとうに枯れ、身体が勝手に男の動きに合わせて動いた。
 全神経を駆け巡る快感に脳細胞が呼応すれば、あっという間に限界に達する。
  ……んっ……んんっ……っあ……でるっ、でるっっ!あッ……アアア──……ッ!!
 精を吐き出して、ぐったりと崩れ落ちた。
 まるで、長距離を走った後の様だった。
 息の乱れは直ぐには収まらず、汗が後から流れ出てくる。
 痙攣の止まない全身の筋肉が、疲労を訴えていた。
 髪が額に張り付いて、気持ちが悪かった。
  みず………
 それを聞いて、男は体勢を変える。
  ………代わりにコレを飲ませてあげる
  ッ………
 男に強要された行為に、暑さも忘れて、再びのめりこんでいく。
 視覚も聴覚も触覚も味覚も嗅覚も男で埋め尽くされて、全ての感覚を支配される。


 羽織ったシャツが風をはらんで心地良かった。
 
 たった今、産声をあげた気分で高耶は立っていた。
 火照った頬を冷ましていく風は、海の香りを含んでいた。
 人は三つの頃まで、母の胎内の記憶があるという。
 高耶は三歳当時の記憶すら危ういが、胎内にいる感覚というのは分かるような気がしていた。
 真っ暗な中、羊水に浸り、母親の愛情を一心に注がれ、護られているという安心感の中で眠る。
 哀しみからも、悪意からも、世界の全てから隔離された場所。
 傍らの男から水を渡されて、それをひとくち口に含む。
 自分は今、そこから産まれてきた。
 疲労と鬱積をリセットして、世界へと足を踏み出すのだ。


 橘が血を吐いた。
 あまりにも顔色が悪いから、無理やり医務室へ連れ込んだ直後のことだった。
 吐血してそのまま床にうずくまるように崩れ落ちた。
 意識が朦朧としているようだったから、大きな身体を何とかベッドに横たえてやると、暫くして目を覚ましたのだが、全く事情を話したがらない。
 延々しつこく問い詰めてやっと、ここ数日調子が悪かったことを白状した。
 以前に処方した薬もちゃんと服用してないことがわかった。

 橘を初めて診たのは、高耶や嶺次郎がこの男を連れて足摺に戻った直後のことだった。
 重要な捕虜にはまず身体検査を行う。
 人間いざとなれば体内に爆薬を隠し持つことだって厭わないからだ。
 危険が最小限に抑えられるよう人払いをした後で服を脱がせてみて、正直驚いた。
 心臓の真上に弾痕があって、命を取り留めた人間などいるものなのだろうか、と。
 そればかりでなく、強引な逃亡劇を物語る出来たばかりの生々しい傷から、何かいわくのありそうな場所にあるものまで、刻まれた傷痕は数限りなかった。
 草間や嘉田や赤鯨衆の男たちも皆、生傷が絶えることはない。
 《闇戦国》で生きる、とはそういうことだ。
 橘はそれらを隠すようにすぐ服を着てしまったが、この男の歩んできた道のりを見た想いがした。
 一通り診終えた後で何か持病はないかと聞くと、点滴を打ちたいと言ってきた。
 胃に潰瘍があり、食事が摂れそうにないから栄養剤を投与して欲しいという。
 ではまず検査をしてから治療法を決めようと言ったのに、検査はいいの一点張りで血の一滴すら採らせようとしない。
 不可解ではあったが何かを企てている感じではなかったので、結局橘の言う通りに栄養剤を点滴し、潰瘍の薬を渡しておいたのだ。
 が、それも飲んでいなかったという。

「どこに行く気ですか!」
 橘は青白い顔で無理やり起き上がり、部屋を出ていこうとする。
「寝ている訳にはいかない」
 今日は重要な砦攻めがあることは、中川も知っている。けれど戦闘に参加するなど、とてもじゃないけど認められない。
「そんな身体では絶対に無理です。戦闘中にまた血でも吐いたらどうするんですか。敵を喜ばせるつもりですか」
 中川の嫌味にも、橘は表情ひとつ変えない。
「これくらいなんともない。いいから行かせてくれ」
 人の話を全く聞かない態度に、いい加減切れそうになって言った。
「ほがなとこまで仰木さんに似ないでください!上杉には病身をおして戦しろっちゅう家訓でもあるがですか!?」
 中川の剣幕に少し驚いた橘は、やっと話をする気になったらしい。
「俺には大切な約束がある。まずは霊波塔を奪還しなければ何も始まらない。どうしても行かなければならないんだ」
 頼む、とまで言われて、中川も困惑した。
「……わかりました。じゃあ今は注射だけにします。ただし、帰ってきたらちゃんと点滴を受けてください」
 必ず、と橘は言った。
 あまり信用はしていなかったが、夜になって約束通り医務室へとやってきたから、意外に律儀な男だ、と思った。
「しばらく、横になっていてください。眠っていればすぐですよ」
 点滴の準備をしながらそう言ったのに、橘は投薬が始まって一時間経っても目を瞑らなかった。
「眠れないんですか?」
「……ああ」
 その短い返事からは明らかに焦燥感のようなものが読み取れた。
「じゃあ、軽い鎮静剤を打ちますから。きっとすぐ眠れます」
 最初からそうしてあげればよかったのだ。
 この様子だと普段から眠れていないのだろう。
 食事もせず、睡眠も取らずでは体力が持たないのは当たり前だ。
 やっと眠りについた橘の寝顔を眺めながら、現代霊の隊士が役者の誰某に似ていると言っていた事を思い出した。もちろん中川は全く知らない名前だ。
 そのままぼーっとしていると、前触れ無く医務室の引き戸が開いた。
「仰木さん!?」
 入ってきたのは、仰木高耶その人だった。
 今朝、橘が倒れて一番最初に連絡したのは紛れも無く自分だが、まさか宿毛までやって来るとは思っていなかった。
 一報を入れた時も、橘が言うことを聞かなくて困ったと愚痴の電話をした時も、高耶の反応はあっさりしたものだったし、数時間前には一晩医務室で休ませるつもりだから大丈夫だと言ってあったはずなのに。
 形振り構わないような行動とは裏腹に、表情はずいぶんと冷静に見えた。
「容態はどうだ?」
「今は眠っています」
「砦攻めが難航したと聞いてる。怪我はないのか?」
「ええ、大丈夫です。橘さんは大活躍だったみたいですよ」
「そうか……」
 中川は答えながらも、つい上の空になる。
 あの戦馬鹿の高耶が戦をほったらかして駆けつけるなど尋常ではない。
 ここまでされるとどうしても二人の関係性を疑ってしまう。
 単なる主従では片付けられない強い結びつきがある。
 中川は知りたかった。
 高耶にとって橘はどういう存在なのだろう。
 橘にとって高耶はどういう存在なのだろう。
 高耶の表情から、関係性を読み取ることは出来ない……と思っていると、
「潰瘍……?」
 倒れた原因を聞いて、初めて高耶の表情が崩れた。
「ええ。治療中だったんです。………大丈夫ですか?」
 急に顔を青くした高耶に中川が問いかけても、高耶は返事をしない。
 橘の顔を見つめたまま、黙りこくってしまった。
 一度、横たわる橘の頬に触れようとして、直前で手を止めた。
 まるで触れるのが怖いとでもいうように。
 もしかして。
 中川は行き着いた答えに自分で鼓動を早くして、悟られないように高耶に背を向けた。
 いやもしかしなくとも、橘の身体の異常は高耶の毒のせいだろうか。
 橘がいくら言っても血液検査を拒んだ理由は、それが発覚するのを恐れたせいだろうか。
 自分が今まで結びつけて考えなかったことが不思議なくらい、自然な筋道だった。
 脳裏に、あの高耶の精液を口にして死んだ憑巫の姿が思い浮かんだ。
 高耶の毒消しのヒントにならないかと、遺体を家族の元へ送り帰す前に解剖させてもらったのだ。
 食道も胃も、焼け爛れたようになっていたあの憑巫……。
 高耶は足摺から戻った後、自分に素肌を見せたがらなかった。そんなこと初めてだったからよく覚えている。
 まさか……。
 お互いのことを語るふたりの表情。銀色の霊枷。
 証拠とも呼べるような確固たる事実がずらりと揃っている。
 けれどその事実を結び付けて考えることを脳が拒んでいるかのようにうまく組み立てられない。
 鼓動を早鐘のように打ち続ける心臓を、更に苛めるような声が後ろから聞こえた。
「た……かやさ……」
 ぎょっとした。
 振り返ると橘の眼が開いている。
「まだ鎮痛剤がきいちょるはずですが……」
 そう言った声は掠れてしまった。
 まるで何かを追うように宙を彷徨う手を、高耶は掴んで強く握り締めた。
 苦しげに橘の見つめていたかと思うと、耳元に口を寄せ何事かを囁いている。
 すると、橘の強張った身体から力が抜け、安心しきったように眼を閉じた。
 高耶は掴んだ手を布団の中にしまうと、一度だけ橘の髪に触れた。
 その一連の動作を魅入られたように眺めていた中川は、心の中で何かがふっきれるのを感じた。
 高耶がくるりと踵を返す。
「眼を覚ましたら、しばらくの間謹慎だと伝えろ」
「仰木さん」
「自己管理もままならない奴が戦闘に出れば、周りにまで危険が及ぶ。ここから出るのも駄目だ。小源太にはオレがいっておく」
 頼んだぞ、と言うと高耶はさっさと出て行ってしまった。
 結局、橘と話すらせずに行ってしまった。何をしにきたんだか。部屋に10分も居なかったのではないか。
 高耶は蠱毒薬を飲んでいたようだったが、一応空気を入れ替えようと、窓を開けた。
 夜の冷たい空気がカーテンを揺らす。
(橘さんの治療には、蠱毒薬を利用してみよう。効果があるかもしれない)
 中川はもう、ふたりの関係について細かく考えることを放棄してしまっていた。
 ただふたりは誰よりもお互いを想い合っている。今はそのことが分かっていればいい。
 いずれ、橘の正体も含めて分かる日が来る。中川にはそんな予感があった。
 星の瞬く夜空を仰ぎ見て、今日は別れて暮らす男女が年に一度逢引する日だと聞いたことを思い出す。
 どんなに限られた時間といえども、会えれば嬉しいものなのだろうか。
 次に会うときは、せめて語らえるくらいの時間は作ってあげたいと願いつつ、高耶と橘という大の男ふたりを、天の上の光り輝く河のほとりで一年振りの再会を楽しんでいるであろう恋人達と重ねあわせた自分の想像がおかしくて、中川はひとりで笑った。

≫≫前編


 橘が倒れた、と中川から連絡があったのは明け方のことだった。
 もちろん高耶には見舞いに行く時間などない。前線は鬼のような忙しさだ。
 猛烈に仕事をこなし、何とか時間を作れた時にはすっかり陽も暮れていた。
 中川からはその後、大したことはなかったと聞いているし、今からバイクを飛ばしたところで向こうでゆっくりする暇も無いままに舞い戻って来なければならなかったが、それでも高耶は行こうと思っていた。
 ちゃんと顔を見て、何をやっているんだと叱咤してやるつもりだった。
 渋る兵頭に留守を任せてバイクにまたがると、一路宿毛を目指した。

 本日、宿毛砦では伊達に対する大掛かりな砦攻めを成功させたばかりだから、隊士達は浮き足立っているのではないかと思っていたのだが、以外にも砦内は静まり返っていた。
 皆、疲れ果てて休んでいるのかもしれない。その中でもバタバタ忙しそうにしている一部の隊士にあまり姿を見られたくなくて、バイクを人目につかない場所に停めると、足音を忍ばせて医務室へと向かった。倒れた後、意識を取り戻してそのまま砦攻めに加わるという無茶をしてのけた直江は、今はそこにいるはずだ。
 果たして、そこにいた直江は、寝台の上に青白い顔で横たわっていた。傍らには中川の姿がある。
「先程鎮痛剤を打ったばかりです」
 横になっても眠れないようだったので、しょうがなく打ったという。
 ひとまず怪我のようなものはないと聞いてほっとした高耶は訊いた。
「倒れた原因は何だったんだ」
「まあ、一言で言えば栄養失調のようなものです」
「栄養失調?」
 高耶は呆れた、といった表情になった。
「ったく。飯くらいちゃんと食えよ」
 忙しさにかまけてロクに食事もとらなかったに違いない。高耶も人のことを言えるほど食事量が多い訳ではなかったが、倒れるまでいったことはない。
 こいつも歳かな、と直江が聞いたら眼を剥きそうなことを真剣に考えていると、
「胃に潰瘍が出来ちょりますき、食べ物を受け付けんかったんでしょう。これで少しは良くなるはずですよ」
 と点滴を示しながら中川が言った。
「潰瘍……?」
「ええ。治療中だったんです」
 高耶は言葉を失った。
 思い当たる節があった。
 いやそれは、思い当たるどころのレベルではなく、明らかに自分のせいだと思った。
 あの足摺の廃屋以後も、何度か自分のモノを口にした直江。蠱毒薬こそ飲んではいたが、体液を直接口にすれば消化器系はもろにダメージ受けるに決まっている。胃どころか食道や腸だってあの毒液が通過した部位は、きっと無事では済まない。
(直江……)
 頭が真っ白になった
 高耶は何よりもこれを恐れていたのだ。
 絶望が目の前を暗くする。
 横たわる直江の頬は色が無く、ひどく冷たそうだ。
 触れて暖めてやりたかったが、この手で触ること自体がこの男を悪くする。
 中川たちの努力のおかげで"生活する上では少し不便"程度の認識になっていたこの呪わしい身体のことを、天から警告された気がした。
 お前は存在するだけで命を奪う毒人間なのだ、忘れるな、と。
 そんな高耶の後ろ向きな考えが伝わったかのように、直江の眉根がすうっと寄せられた。
 片腕がピクリと動いたと思うと、ふらふらと持ち上がる。
 やがて薄く開かれた瞼の下に、鳶色の瞳が現れた。
 だがその瞳は目の前にある高耶の顔を見てはいない。何かの幻を見ているようだ。
「た……かやさ……」
 思い通りにならない腕と眼を必死に動かして、未だ夢の中の直江は必死に高耶を探していた。
「まだ……薬が効いちょるはずですが……」
 中川は驚いた声をあげている。
 何故直江がそんな夢をみるのか、高耶には察しがついてしまって迷わずその手を引き寄せた。
「直江、大丈夫だ」
 ゆっくりと呼びかける。
「オレはちゃんとここにいる」
 高耶の声が届いたのか、ややして直江は瞼を閉じ、再び眠りに落ちていった。
 高耶は握った手を元に戻すと、触れても一番影響のなさそうな髪の毛にそっと触れてみた。
 そのまま頬に触れ、深く口付けたい衝動をなんとか押さえ込む。
 服を脱がせ、熱い身体に跨って、男の意識の有無なんて気にせずに思う存分貪りたくなった。
 この男ならきっとクスリの効力なんかに打ち勝って目を覚まし、逆に高耶を組み敷くかもしれない。
 そうすれば、直江の不安も自分の不安も何もかも、全部後回しにして───……
(……何を考えているんだ)
 全然駄目だ。
 もういいかげんこんな自分では駄目だ。
 何のために直江を自分の傍から離しているのかわからないではないか。
 会ってしまえばいつも歯止めがきかなくなる。気がつくと身体を重ねてしまう。
 ならば、解決法はひとつ。
 会わないことだ。
 高耶は中川を残して医務室を出、その足で小源太の部屋へ向かった。
 しばらくは直江を砦外に出さないように交渉するつもりで、だ。
 早く体調戻すために、自分に会いに来させないために。
 小源太は渋ったが、無理やり了承させた。
 そして、そのまま医務室に戻ることもせず、帰途についた。

 バイクを飛ばしながら、高耶は考える。
 今日は年に一度、笹を飾り短冊に願いを込める日だ。
 そんな風習が始まったのは江戸の頃だっただろうか。
 赤信号に捉まって、星の瞬く夜空を仰ぎ見た。
(どうかその光であの男の往く道を照らしてやってくれ)
 絶壁の上の一本道だとか、狭く入り組んだ迷路のような谷間の道だとか、壁のようにそそり立ち行く手を阻むごつごつとした岩場の道だとか、一滴の水もない広大な砂漠の道なき道だとか。
 あの男はいつも平坦でない道ばかりを歩いている。
 オレのことはいい。だから、どうかあの男だけでも見捨てないでやって欲しい。
 乳の河と呼ばれる程の、白く眩い光を放つ星達に、高耶は祈るように願った。


≫≫後編


久方ぶりに姿を見せた直江は、着信があったからと部下に電話を掛けなおしている。
赤鯨衆が開発した新型携帯電話は強力な霊波を利用したもので、剣山の強い地場上でも難なく会話が出来た。
監視業務の報告を受けている最中だったから、電話の終わるのをじっと待ってはみたものの、一向に終わる気配がない。
受話器から漏れる相手の声から切羽詰った状況が聞いて取れたから、仕方ない、と長期戦を覚悟した。
襲撃でも受けたのか、半分パニックのようになっているらしい部下相手に引きずられることなく、直江はあくまでも冷静に指示を与えている。
冷静というより───
そこに感情らしきものは全く感じられなかった。

復帰後の直江は、実際よくやっている。
高耶が口を挟む隙もないくらいに。
自分が未だに剣山に篭っていられるのも、直江を通じて各地の状況を正確に知ることができるからだ。
各地の怨将が休む間もなく送り込んでくる斥候や赤鯨衆に反発する地元霊達との衝突。復興を目指す住民達の状況。結界自体の綻びや気の流れの異常など、今の四国をとりまく環境は分刻みで変化する。
集めたそれらの情報と高耶が自らの身体を通じて知り得た情報とを交えて、赤鯨衆の各方面に迅速かつ的確に伝えなくてはならない。
高耶は誰よりも直江と密に連絡を取り、その作業を進めてきた。
言い換えれば自分と直江だから、ここまでスムーズに事が運んだとも言える。

やっと電話が終わり、直江がこちらへ向き直ろうとしたところでまた電子音が鳴り始めた。
手の中の電話をみやって少し眉をひそめた直江は、結局またその電話を取った。
時には優しさを、時には厳しさを、何より真摯な響きを含んで高耶を呼んだあの声も、今は機械のように言葉を並べるだけだ。
冷徹、と隊内では言われているらしい。
確かにこうしていると、虚無も悲嘆も全て克服したようにみえなくもないが……。
高耶にはわかっていた。
冷たさは燃え滾る感情をコーティングするための鎧でしかない。
嵐の前の静けさに似た、堰を切ってあふれ出す寸前の緊張感をいつだって周囲に漂わせている。
直江は決して克服などできていないのだ。決して癒されてなどいない。
ただ、今まで耐え切れなかったものに耐えることを覚えただけなのだ。
辛苦を許容する容量が、増えただけなのだ。
直江の苦しみは、何も変わっていない。

思えば四国全土の調査など、因果な役回りだ。
自分の力が及ばなかった事の結果を、その目で見て回るのと同じことだ。
あの時、世界を滅ぼせと叫んだこの男こそ、400年間誰よりもその世界に誠実であろうとしてきた。
その心を、捨てられる訳がないのだ。
罪のない人々の痛みや犠牲を目の当たりにして、何とも思わない訳がない。
けれどその罪悪感も、不誠実である事への責任も、ただオレの為だけに背負ってみせるといっている……。

直江をここまで苦しめて、自分は一体どこへ向かおうというのか。
有り得ない程大きな犠牲を払い手に入れたこの身体を抱えて、時折息苦しさで行先を見失いそうになる。
それでも必死に自分を奮い立たせた。
前をしっかりと見つめなければ。
立ち止まっている時間は、もう無い。
今度こそ電話を終えた直江が、真っ直ぐな視線をこちらに寄越すから、高耶は姿勢を正した。
目指すものはいつだってひとつだけだ。
自分の中の真実をもう一度確かめるように、高耶は銀色のブレスレットに手をやった。


≫≫前編
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短編Index
   





























        










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