橘が倒れた、と中川から連絡があったのは明け方のことだった。
もちろん高耶には見舞いに行く時間などない。前線は鬼のような忙しさだ。
猛烈に仕事をこなし、何とか時間を作れた時にはすっかり陽も暮れていた。
中川からはその後、大したことはなかったと聞いているし、今からバイクを飛ばしたところで向こうでゆっくりする暇も無いままに舞い戻って来なければならなかったが、それでも高耶は行こうと思っていた。
ちゃんと顔を見て、何をやっているんだと叱咤してやるつもりだった。
渋る兵頭に留守を任せてバイクにまたがると、一路宿毛を目指した。
本日、宿毛砦では伊達に対する大掛かりな砦攻めを成功させたばかりだから、隊士達は浮き足立っているのではないかと思っていたのだが、以外にも砦内は静まり返っていた。
皆、疲れ果てて休んでいるのかもしれない。その中でもバタバタ忙しそうにしている一部の隊士にあまり姿を見られたくなくて、バイクを人目につかない場所に停めると、足音を忍ばせて医務室へと向かった。倒れた後、意識を取り戻してそのまま砦攻めに加わるという無茶をしてのけた直江は、今はそこにいるはずだ。
果たして、そこにいた直江は、寝台の上に青白い顔で横たわっていた。傍らには中川の姿がある。
「先程鎮痛剤を打ったばかりです」
横になっても眠れないようだったので、しょうがなく打ったという。
ひとまず怪我のようなものはないと聞いてほっとした高耶は訊いた。
「倒れた原因は何だったんだ」
「まあ、一言で言えば栄養失調のようなものです」
「栄養失調?」
高耶は呆れた、といった表情になった。
「ったく。飯くらいちゃんと食えよ」
忙しさにかまけてロクに食事もとらなかったに違いない。高耶も人のことを言えるほど食事量が多い訳ではなかったが、倒れるまでいったことはない。
こいつも歳かな、と直江が聞いたら眼を剥きそうなことを真剣に考えていると、
「胃に潰瘍が出来ちょりますき、食べ物を受け付けんかったんでしょう。これで少しは良くなるはずですよ」
と点滴を示しながら中川が言った。
「潰瘍……?」
「ええ。治療中だったんです」
高耶は言葉を失った。
思い当たる節があった。
いやそれは、思い当たるどころのレベルではなく、明らかに自分のせいだと思った。
あの足摺の廃屋以後も、何度か自分のモノを口にした直江。蠱毒薬こそ飲んではいたが、体液を直接口にすれば消化器系はもろにダメージ受けるに決まっている。胃どころか食道や腸だってあの毒液が通過した部位は、きっと無事では済まない。
(直江……)
頭が真っ白になった
高耶は何よりもこれを恐れていたのだ。
絶望が目の前を暗くする。
横たわる直江の頬は色が無く、ひどく冷たそうだ。
触れて暖めてやりたかったが、この手で触ること自体がこの男を悪くする。
中川たちの努力のおかげで"生活する上では少し不便"程度の認識になっていたこの呪わしい身体のことを、天から警告された気がした。
お前は存在するだけで命を奪う毒人間なのだ、忘れるな、と。
そんな高耶の後ろ向きな考えが伝わったかのように、直江の眉根がすうっと寄せられた。
片腕がピクリと動いたと思うと、ふらふらと持ち上がる。
やがて薄く開かれた瞼の下に、鳶色の瞳が現れた。
だがその瞳は目の前にある高耶の顔を見てはいない。何かの幻を見ているようだ。
「た……かやさ……」
思い通りにならない腕と眼を必死に動かして、未だ夢の中の直江は必死に高耶を探していた。
「まだ……薬が効いちょるはずですが……」
中川は驚いた声をあげている。
何故直江がそんな夢をみるのか、高耶には察しがついてしまって迷わずその手を引き寄せた。
「直江、大丈夫だ」
ゆっくりと呼びかける。
「オレはちゃんとここにいる」
高耶の声が届いたのか、ややして直江は瞼を閉じ、再び眠りに落ちていった。
高耶は握った手を元に戻すと、触れても一番影響のなさそうな髪の毛にそっと触れてみた。
そのまま頬に触れ、深く口付けたい衝動をなんとか押さえ込む。
服を脱がせ、熱い身体に跨って、男の意識の有無なんて気にせずに思う存分貪りたくなった。
この男ならきっとクスリの効力なんかに打ち勝って目を覚まし、逆に高耶を組み敷くかもしれない。
そうすれば、直江の不安も自分の不安も何もかも、全部後回しにして───……
(……何を考えているんだ)
全然駄目だ。
もういいかげんこんな自分では駄目だ。
何のために直江を自分の傍から離しているのかわからないではないか。
会ってしまえばいつも歯止めがきかなくなる。気がつくと身体を重ねてしまう。
ならば、解決法はひとつ。
会わないことだ。
高耶は中川を残して医務室を出、その足で小源太の部屋へ向かった。
しばらくは直江を砦外に出さないように交渉するつもりで、だ。
早く体調戻すために、自分に会いに来させないために。
小源太は渋ったが、無理やり了承させた。
そして、そのまま医務室に戻ることもせず、帰途についた。
バイクを飛ばしながら、高耶は考える。
今日は年に一度、笹を飾り短冊に願いを込める日だ。
そんな風習が始まったのは江戸の頃だっただろうか。
赤信号に捉まって、星の瞬く夜空を仰ぎ見た。
(どうかその光であの男の往く道を照らしてやってくれ)
絶壁の上の一本道だとか、狭く入り組んだ迷路のような谷間の道だとか、壁のようにそそり立ち行く手を阻むごつごつとした岩場の道だとか、一滴の水もない広大な砂漠の道なき道だとか。
あの男はいつも平坦でない道ばかりを歩いている。
オレのことはいい。だから、どうかあの男だけでも見捨てないでやって欲しい。
乳の河と呼ばれる程の、白く眩い光を放つ星達に、高耶は祈るように願った。
≫≫後編
もちろん高耶には見舞いに行く時間などない。前線は鬼のような忙しさだ。
猛烈に仕事をこなし、何とか時間を作れた時にはすっかり陽も暮れていた。
中川からはその後、大したことはなかったと聞いているし、今からバイクを飛ばしたところで向こうでゆっくりする暇も無いままに舞い戻って来なければならなかったが、それでも高耶は行こうと思っていた。
ちゃんと顔を見て、何をやっているんだと叱咤してやるつもりだった。
渋る兵頭に留守を任せてバイクにまたがると、一路宿毛を目指した。
本日、宿毛砦では伊達に対する大掛かりな砦攻めを成功させたばかりだから、隊士達は浮き足立っているのではないかと思っていたのだが、以外にも砦内は静まり返っていた。
皆、疲れ果てて休んでいるのかもしれない。その中でもバタバタ忙しそうにしている一部の隊士にあまり姿を見られたくなくて、バイクを人目につかない場所に停めると、足音を忍ばせて医務室へと向かった。倒れた後、意識を取り戻してそのまま砦攻めに加わるという無茶をしてのけた直江は、今はそこにいるはずだ。
果たして、そこにいた直江は、寝台の上に青白い顔で横たわっていた。傍らには中川の姿がある。
「先程鎮痛剤を打ったばかりです」
横になっても眠れないようだったので、しょうがなく打ったという。
ひとまず怪我のようなものはないと聞いてほっとした高耶は訊いた。
「倒れた原因は何だったんだ」
「まあ、一言で言えば栄養失調のようなものです」
「栄養失調?」
高耶は呆れた、といった表情になった。
「ったく。飯くらいちゃんと食えよ」
忙しさにかまけてロクに食事もとらなかったに違いない。高耶も人のことを言えるほど食事量が多い訳ではなかったが、倒れるまでいったことはない。
こいつも歳かな、と直江が聞いたら眼を剥きそうなことを真剣に考えていると、
「胃に潰瘍が出来ちょりますき、食べ物を受け付けんかったんでしょう。これで少しは良くなるはずですよ」
と点滴を示しながら中川が言った。
「潰瘍……?」
「ええ。治療中だったんです」
高耶は言葉を失った。
思い当たる節があった。
いやそれは、思い当たるどころのレベルではなく、明らかに自分のせいだと思った。
あの足摺の廃屋以後も、何度か自分のモノを口にした直江。蠱毒薬こそ飲んではいたが、体液を直接口にすれば消化器系はもろにダメージ受けるに決まっている。胃どころか食道や腸だってあの毒液が通過した部位は、きっと無事では済まない。
(直江……)
頭が真っ白になった
高耶は何よりもこれを恐れていたのだ。
絶望が目の前を暗くする。
横たわる直江の頬は色が無く、ひどく冷たそうだ。
触れて暖めてやりたかったが、この手で触ること自体がこの男を悪くする。
中川たちの努力のおかげで"生活する上では少し不便"程度の認識になっていたこの呪わしい身体のことを、天から警告された気がした。
お前は存在するだけで命を奪う毒人間なのだ、忘れるな、と。
そんな高耶の後ろ向きな考えが伝わったかのように、直江の眉根がすうっと寄せられた。
片腕がピクリと動いたと思うと、ふらふらと持ち上がる。
やがて薄く開かれた瞼の下に、鳶色の瞳が現れた。
だがその瞳は目の前にある高耶の顔を見てはいない。何かの幻を見ているようだ。
「た……かやさ……」
思い通りにならない腕と眼を必死に動かして、未だ夢の中の直江は必死に高耶を探していた。
「まだ……薬が効いちょるはずですが……」
中川は驚いた声をあげている。
何故直江がそんな夢をみるのか、高耶には察しがついてしまって迷わずその手を引き寄せた。
「直江、大丈夫だ」
ゆっくりと呼びかける。
「オレはちゃんとここにいる」
高耶の声が届いたのか、ややして直江は瞼を閉じ、再び眠りに落ちていった。
高耶は握った手を元に戻すと、触れても一番影響のなさそうな髪の毛にそっと触れてみた。
そのまま頬に触れ、深く口付けたい衝動をなんとか押さえ込む。
服を脱がせ、熱い身体に跨って、男の意識の有無なんて気にせずに思う存分貪りたくなった。
この男ならきっとクスリの効力なんかに打ち勝って目を覚まし、逆に高耶を組み敷くかもしれない。
そうすれば、直江の不安も自分の不安も何もかも、全部後回しにして───……
(……何を考えているんだ)
全然駄目だ。
もういいかげんこんな自分では駄目だ。
何のために直江を自分の傍から離しているのかわからないではないか。
会ってしまえばいつも歯止めがきかなくなる。気がつくと身体を重ねてしまう。
ならば、解決法はひとつ。
会わないことだ。
高耶は中川を残して医務室を出、その足で小源太の部屋へ向かった。
しばらくは直江を砦外に出さないように交渉するつもりで、だ。
早く体調戻すために、自分に会いに来させないために。
小源太は渋ったが、無理やり了承させた。
そして、そのまま医務室に戻ることもせず、帰途についた。
バイクを飛ばしながら、高耶は考える。
今日は年に一度、笹を飾り短冊に願いを込める日だ。
そんな風習が始まったのは江戸の頃だっただろうか。
赤信号に捉まって、星の瞬く夜空を仰ぎ見た。
(どうかその光であの男の往く道を照らしてやってくれ)
絶壁の上の一本道だとか、狭く入り組んだ迷路のような谷間の道だとか、壁のようにそそり立ち行く手を阻むごつごつとした岩場の道だとか、一滴の水もない広大な砂漠の道なき道だとか。
あの男はいつも平坦でない道ばかりを歩いている。
オレのことはいい。だから、どうかあの男だけでも見捨てないでやって欲しい。
乳の河と呼ばれる程の、白く眩い光を放つ星達に、高耶は祈るように願った。
≫≫後編
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