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短編Index


 夏。生命が輝きを増す季節。
 肌を焼く熱い日差しに蝉の合唱。
 したたる汗。それを拭うために手を持ち上げるのさえ億劫に思う。
 道の端を、夏休み中の子供達がプールバックを片手に並んで歩く。
 家に帰ればよく冷えた素麺がテーブルの上に並んでいて、食後のデザートには真っ赤に熟れたすいかが用意されている。
 週末には近所の神社の境内で、町内会主催の納涼盆踊り大会が開かれる。
 参道の両脇には夜店が並び、行きかう人々は皆、祭りの締めに行われる恒例のイベント、ナイアガラ花火を楽しみにしている。
 毎年毎年、同じことの繰り返し。
 小さな山車の周りに集まっている浴衣を着込んだ子供達が大きな神輿を担げる大人になっても、呼び込み文句を威勢よく張り上げる焼きそば屋の男性が声の嗄れた老人になっても、変わらずに同じことが繰り返される。
 ───はずだった。

 当たり前のような夏の光景を、獣の咆哮が奪い去っていった。



「これ、よかったら」
 剣山頂上のロッジへ食糧や消耗品を運び入れていた隊士が、思い出したように高耶の方へ紙袋を差し出した。
「この間、浦戸の方で花火大会があったんですよ」
 高耶が袋を覗いてみると、中にはファミリー向けの小さな花火のセットが入っていた。
「まあ、以前よりは規模が小さかったらしいですけど」
「………そうか」
 四国は現在大不況の真っただ中だから、開催資金が集まらなかったのだろう。それでも、たくさんの人出があったようだと隊士は話す。
「雰囲気だけでも味わってくださいよ、隊長」
 彼は、現在の赤鯨衆の中で高耶を隊長と呼ぶ数少ない人間のうちのひとりだ。
「ありがとう」
 去っていく車を見送りながら、高耶は袋の中から花火を取りだす。
(夏……か)
 上着を何枚か羽織って、それでもまだ寒いくらいなのに。
 現在の季節を、言葉で確認しあわなければわからないなんて。こんな事態、誰が想像していただろうか。
 花火の袋の中には、花火大会のチラシまで一緒に入っていた。
 そこには、"大事故"からの復興がうたわれている。
 余裕のない生活の中で、それでも人々は前のような生活に戻ろうと必死なのだろう。
 花火を袋へとしまって、高耶は空を見上げた。
 金色の、幅広の帯の、その向こう。分厚い雲の一部にぼんやりと明るい場所がある。太陽だ。そんなところに隠れてないで、しっかりしろとさけびたい気持ちになった。自分が、太陽から大地を、また大地から太陽を奪い取った張本人だというのに。
 太陽を目にしない生活と言うのは、不思議なものだった。
 毎日なんとなく明るくなり、そして暗くなって初めて夜だと知る。朝焼けも夕焼けもない。生まれたばかりの子供達は、日の光を直接浴びたことがないはずだ。紫外線不足からくる身体への弊害を予防するためか、ビタミン剤の売り上げがうなぎのぼりなのだと聞いている。
 どこかの国の技術を応用して雲を消し去ろうという計画もあったらしいが、頓挫した。
 そういうものではないのだ、この雲は。
 もし本当に消し去ろうと思うのなら、必要なのは祈祷呪術の類だろう。もちろん、そんな修法があれば、自分がとっくにやっている。
 高耶の心に、見上げた空以上に重い暗雲が立ち込める。
 天候不順による影響だけではない。景気低迷、電波・エネルギー問題、教育問題、介護問題、犯罪率増加、四国外への相次ぐ移住による急激な過疎化、四国の人々が抱える問題は、数え切れないほどに山積みだ。
 高耶は眉根を寄せた。
 全ては、自分に責任がある。
 裏四国という"思想"が人々に受け入れられるのにはかなりの時間を要するだろうと言う覚悟は持っていたが、これではその前に四国そのものが破綻してしまう。本当に、死に人だけの島になってしまう。
 本当なら自分が各地を歩いて、復興の指揮を取りたいところだった。しかし今は、何もかもが直江に任せっきりになってしまっている……。
 高耶が抱えている問題は、現代人のことばかりではないのだ。
 全国各地からやって来る怨霊たち。
 耳を澄ませば、いつだって彼らの声が聞こえる。
 荒々しいものばかりではない。さめざめと泣く声、ぶつぶつと呟く声、囁きのような掠れた声。そのすべてに、高耶は耳を傾け、何が最善の道なのか、一緒に考えてやらねばならない。
 もちろんそれは、意識的に行われているものではない。
 改めて命令せずとも呼吸をしたり、身体の細胞が生まれ変わり続けるのと似ている。高耶はいま、彼らと同じ身体で生きているようなものなのだ。四国の山々は高耶の肉であり、河川は血管も同様だ。
 当然、呼吸を乱す何かがあれば、細胞内に悪い働きをするものが紛れ込めば、肉が削られ血の流れが妨げられるようなことがあれば、高耶にはすぐにわかるのだ。
 各地の怨将たちが送り込んでくる刺客たち、四国内まだまだ残る三好や伊達の残党たち、そして赤鯨衆内の反対勢力。それらの排除を的確に行わないと、どんな事故が起こるかわからない。
 なんせ、宿体を持たない死遍路たちは裸も同然だ。身体が傷つけば、魂までをも傷つけてしまうかもしれない。
 信長は自分の弱点をよくわかっている。次に一体どんな手段に出てくるかはわからないが、何があってもこの島だけは護らなくてはならない。
 高耶がそのこと考えてため息をつこうとした瞬間、
────ッ……!」
 鼻孔に、鉄の匂いが充満した。
───げほッ……ッゲホ──ッ!」
 高耶は背中を折り曲げると、喉の奥から溢れ出た液体を吐き出した。
 喀血したのだ。
 思わず袋を落として地面に手と膝をつく。ポタポタと、唇から血が滴り落ちた。
 最近ではもう、珍しいことではなくなってしまった。
 目や鼻や耳から、血が流れ出るのは日常茶飯事だ。
 最初は、身体のあちこちから血が出るのと同じように、裏四国を為した反動かとも思った。しかしそれらは痛みを伴わない出血のはずだ。
 今は胸に筋肉の攣るような痛みを感じ、酷い耳鳴りがした。明らかに種類が違う。
「………ッ」
 今度は恐怖で、高耶の胸は締め付けられるように痛んだ。
 急がなければならない。急がなければ───
 しかし、これ以上どうやって?
 やるべきことが、すべきことがありすぎて、気持ちばかりが逸る。
 分身が何千人も何万人もいたって、追いつかない。直江には、終わりをみては駄目だと言ったことがある。しかし、こなしてもこなしても、最終地点の影すら見えてこない……。
 掌の下にある細かな砂利を握りしめる。ちっぽけで、何の存在の主張もしないこの小石は、きっと自分の身体が朽ちた後もこの世界に在り続けるのだろう。
 生命には、何故期限があるのだろうか。魂は、何故六道を巡り続けなければならないのだろうか。それがこの世のルールならば、そのルールを造ったのは誰だ?しかし自分もまた、そのルールがあったからこそ生まれてくることが出来たのだ。そして、今の自分はもう、そのルールからも逸脱してしまった……。
 そのルールを、この世界そのものを、今すぐ終わらせることの出来るボタンが目の前にあったら、自分はそのボタンを押すだろうか。いいや、自分は信長とは違う。そんなことは絶対にしないし、誰にもさせてはならない……。
 小石を握っていた掌は、いつの間にか左手首で鈍く光る銀色の輪へと伸びていた。


 ロッジに戻ると、床に寝そべっていた小太郎が顔をあげてこちらをみた。
「メシは?」
 小太郎は、いらないというように首を元の位置へと戻す。
 高耶は花火の袋をテーブルの上に置きながら、かつてこの男が夏の暑い日に言った言葉を思い出した。
───訓練さえつめば、汗の量はコントロールできるようになるんですよ
 汗をかかない男に、理由を聞いたときだった。
 当時自分はこの男を別人だと思い込んでいたから、脳内で再生されるその声も本来のこの男の声とは別のものだ。
 自分のせいで、この男の人生は変わってしまった。そのことを、獣の姿となったこの男は一体どう思っているのだろう。こうして穏やかな寝顔を見ていると、そうした変化もこの男にとってはそんなに悪くはないものだったのではないかと思えてくる。
 テーブルの上の花火を、再び手に取った。
 花火は昔から、人の一生によく例えられてきた。
 炎と言う命を点され、美しい輝きを放ち、やがて燃え尽きる、疑似生命。
 生命の消えゆくこの島で、人々が花火に求めるものが、手に取るようにわかって痛々しかった。
 半世紀。その間だけ我慢してくれ、と高耶は心の中で謝った。
 終わらない生命がないのと同じ。終わらない季節もないのだから、と。
 よくよく考えてみれば、あの小石だって元は大きな石だったのかもしれない。100年後には風化して、砂になってしまっているかもしれない。花火だって永遠に燃え続ければ、ただの厄介な火の玉だ。
 半世紀を耐えればきっと、また四国にも夏の風景が戻ってくる。生命がより輝きを増す、あの季節が。
 そして、その時自分は───
 ……とにかく、物事の変化を悪く捉えすぎるのはよさなければ。
「小太郎」
 声をかけると、小太郎はふたたび顔をあげた
「花火、したことあるか」
 しゃがみこんで、目線の高さを合わせてやる。
「暗くなったら、卯太郎と一緒にやろう」
 小太郎は傍へ寄ってきて、高耶の手にした花火の匂いを嗅いだ。


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