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短編Index


苛立ちと焦りが、直江の眉間にわずかな陰を作っている。
 しかし一見すれば、鉄の仮面を張り付けたかのような無表情だ。
 室戸方面の札所周辺を数日かけて回った後、アジトへと戻って来たばかりの直江は、誰もいない会議室で集めてきた資料をテーブルに広げ、睨みつけていた。
 とそこへ霊体の隊士が三人、世間話をしながら入って来る。が、直江が一瞥すると、回れ右でこそこそと部屋を出て行ってしまった。
 直江が三人を見る眼には、憎しみに近い色が宿っていた。
 あの三人が三人とも、望みさえすれば死遍路となって遍路道を歩き、自分だけの仰木高耶を手にすることが出来る。敗北者としてのやりきれなさを、彼にぶつけ、昇華し、浄化することが出来る……。
 直江は、気に入らなかった。
 自分が長年魂を賭して彼と向き合い手にしてきたポジションを、簡単に手にすることの出来る怨霊たちも、それをいとも簡単に与えてしまう高耶も、気に入らない。そして何より、そんな状況を黙って見ていることしか出来ない自分自身が気に入らない。
 いまや日本全国の怨霊が、直江のライバルだ。いや、怨霊だけではないかもしれない。自分だけの理解者、仰木高耶。現代人だってそれを、"死ぬ"だけで簡単に手にすることができる。
 死遍路たちの"今空海信仰"は篤く、今ではそれが現代人の間にまで飛び火しつつある。そのうちに、高耶を得たいが為に自殺する人間まで出るのではあるまいか。直江はそんな危惧すら抱いていた。こんな状況になることを、彼は想定していたのだろうか。
 彼が全ての魂の理解者で在りたいというのなら、それでもいい。彼がどんなに大きく腕を広げようとも、彼に向かって手を広げる人間はひとり、自分だけ。彼自身の理解者は自分しかいないのだから。彼の苦悩を、苛立ちと焦りを、高い志を、深い愛情を、虚像ではない本当の身体、声、眼差し、髪の感触、唾液の味、白い毒液の甘さ……。そういったものをわかっているのは自分だけ。高耶に取って、彼らと自分では全く次元の違う存在……。
 直江の口端が、わずかに歪む。
 そうやって必死に自分を慰めてみても、何にもならならないことはわかっていた。考えれば考えるほど、虚しさは増すばかりだ。
 自分は彼の心を理解はしても、同調はできなかったではないか。赤鯨衆の幹部たちの方がまだ、高耶の心に近い場所にいたではないか。彼のことを誰よりも知っていながら、全力で否定することしか出来なかった臆病者。自らの存在価値が失われることを恐れるあまり、果たすべき責任を棄ててしまった愚か者。魂の、失業者だ。
 あの時の自分の判断が、間違っていたとは思わない。
 ただ、自分は失敗したのだ。あの敗北の瞬間、永遠に失ったのだ。彼に同調し、より強い絆を得る機会と、ソウルバーストという悪魔の顔をした現実を打ち負かす手段を。
 直江は疲れ切った様子で、掌を額にやった。
 直江と言う魂核史上最大の失敗の記憶が、直江を無表情たらしめていた。
(少し休もう)
 頭がぼんやりとしている。先程から思考があまりうまくいっていない。寝なくてはいけないことはわかっているのだ。
 でも、眠るのが怖かった。夢をみるのが怖かった。何を怖いと思うのか、それすら考えるのが怖い。
 今度は恐怖が、直江の無表情の主たる成分となりかけたその時。

  ド……ドン……

 何かの爆発音が聞こえてハッと顔を上げる。
 耳を済ませると、再びその音が鳴った。
(そういえば……)
 どこかで花火大会があるとか言っていた。
(そんな季節か……)
 言われても、あまりピンとは来なかった。身体が、今の季節を夏と認識していないからなのだろう。季節の変化がなくなって初めて、四季というものがどれだけ身体に染み付いていたかがよくわかる。
 肌で感じるちょっとした空気の変化や、自然と視界に入ってくる道端や軒先の草花、日照時間。それらを意識することはなくとも、身体が勝手に捉えていたのだろう。
 案外、浄土とはこういう世界なのかもしれないと思った。暑すぎる夏もなく、寒すぎる冬もない。そもそも霊体が気温を感じることはない。生きている間にまどわされた問題から遠ざかり、己の中のみを見つめる存在であるためならば、季節など必要ないのだろう。たとえ四国に四季が戻ったとしても、霊体のままの魂にとってはさして代わりのない世界にみえるかもしれない。
 しかし生きた人間にしてみれば、やはり四季折々の変化が恋しくもなる。
 四国の現代人たちが催すのは、花火大会だけではなかった。春には各地で"お花見"がこぞって開催された。紙や布造った桜を飾って、楽しむというものだ。それが五月には菖蒲になったし、六月にはあじさいになった。近頃は車で走っていると、道端に大きなひまわりをよくみかける。もちろん、よくみれば造花なのだが。
 そう言った彼らの努力を眼にする度、直江は舌を巻く思いがした。変化のない……いや、生き物は徐々に死に行き、死者ばかりになりつつあるこの島を、彼らは決して見捨てないつもりでいるらしい。不思議なもので、そういった努力をしている人々の姿は、以前よりも生き生きとしてみえる。乗り越えるべきものを乗り越えようとする気力から来るものなのだろうか。
 人間は強い。強く、したたかだ。
 獣であれば本能でしか動かない。目の前に危険=死があれば、回避しようとしか思わない。
 けれど人間には本能を超える能力がある。勇気、愛、願い、夢、希望。本能がどれだけ拒否しても、そこへ立ち向かっていける強さを、人は持っている。もう駄目かもしれないと思っても、人は必ず立ち上がる。現に彼らは、理不尽なものに精一杯立ち向かっている。
 その力は一体どこからくるのだろう。
 高耶もそうだ。高耶のあの美しいまでの強さは、人であるから持ち得るものだ。途方もない罪をかかえてまで、途方もない偉業を成し遂げようという発想は、人間にしか持ち得ない。もちろん高耶の場合、人間で在りたいという想いが強さを引きだしてはいるのだろうが……。

 外に出てみると、遠い夜空に大輪の花が咲いていた。
 灰色の空を背景に、見事に花弁を散らしている。
 美しかった。
 そして自分にまだ、花火を美しいと思える心が残っていることに驚いた。自分にも彼らと同じ、したたかさが宿っているのかもしれないとも思えた。
 今の自分は苛立ちと恐怖で盲目となっている。
 これでは見えるべきものも見落としてしまうかもしれない。
 自分も人であるならば、彼らのような強さを持たねばならない。
 もう無理だと思う自体をも、乗り越えて行ける強さを。
(あのひとは、どう思うだろう)
 この花火を見て、何を思うのだろう。
 彼がいま必死に立ち向かっているものの名は、責任、だ。あんなにたくさんの魂を抱え込み、自身の体調不安を抱え込み、信長という宿敵との戦いを抱え込み……。
 押し潰されている高耶の心には、どう映るのだろう。
 直江の脳裏に、遠い昔に見た笑顔が浮かぶ。確か仙台での事件の後、花火をしたことがあった。友人とはしゃぐ顔、妹を見守る顔、色とりどりの光が照らす表情を、自分は飽きずに眺めたものだった。
 ふと思いついて、直江はある場所へと電話を掛けることにした。
───そう、花火だ。あのひとに届けられるか?───いや、俺の名前は出さなくていい───ああ、悪いな───
 電話を切って、直江は思う。
 高耶はこの島を、死人だけの島にしたかったわけじゃない。自分はその意向をくんで動いてやらねばいけない。
 高耶が人で在りたいと願うように、自分にも在りたいと願う姿がひとつ、ある。
 それを想えばきっと、自分にもしたたかさが宿るのではないだろうか。
 直江は拳を握りしめた。
 行動あるのみ、だ。
 まずは、この島が生命の輝ける場所で在れるように。


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