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短編Index


 世間では春の連休が明けて間もない。
 高速道路は異様なほどに空いていた。
 セフィーロを走らせる直江は、松本での事後処理の為に徹夜したにもかかわらず、気が張っているせいか眠くもならない。
 ろくに休憩も取らずに走り通しで実家まで戻ってきた。

「あらあら、土手で転がりでもしたんですか」
 車の音を聞きつけて玄関先まで出て来た母親は、まるで小学生の子どもを迎える態度だ。
「そんなことはしませんよ」
 苦笑いの直江に対してあくまでも本気だったらしい母親は、お風呂の準備をしましょうね、と慌しく奥へ消えていった。
 靴を脱ぎネクタイを緩め茶の間へ行くと、おおきなちゃぶ台には平日の昼間だというのに照弘がいた。
 お茶を片手に新聞を読んでいる。
「兄さん」
「おう、帰ったか。……また派手に汚したな」
「えぇ、まあ」
「予定より日程が押しただろう。長野の女性はそんなによかったか」
「兄さん……」
 照広はパッと掌をみせた。
「いや、いい。詳しくは聞かないさ」
 これから親父さんと一緒に東京なんだ、と伸びをしながら話す長兄は、直江の放蕩は全て女性が原因だと思っているフシがある。
 土手で転がって遊んだと思われるよりはマシなのか。どうなのか。
「お風呂の準備、出来ましたよ」
 早足でやって来た母親は、直江が脱いで手にしていた上着を奪い取った。
「あらあら、クリーニングに出さなくっちゃいけませんねぇ。
ほら、義明。早く下も脱いでいらっしゃい」
「お母さん、それくらいは義明も自分で出来ますよ」
「そうそう、義明。お腹空いてないのかしら?お風呂の前に何か食べますか?」
 突っ込みを入れる照弘と、それを完全に無視する母親の会話を
いつも通り聞き流しながら、直江はぼんやりと考えた。
(夢ではないんだな)
 目の前には日常の風景が広がっている。
 数日前、この家を出た時と同じものだ。
 けれど、直江の心境は全く違っていた。
 全てが鮮明に焼きついている。

 下から睨み付けてくる瞳。
 柔らかさの残る輪郭
 成長しきっていない体躯
 精一杯凄味を利かせた若い声。

 景虎との再会の形は、それこそ数え切れないほど想像したが、どの想像とも違っていた。
 第一、自分よりひとまわりも幼い姿で現れるとは思っていなかった。
 前生でも自分のほうが上ではあったが、年齢差は殆ど無かった。
 いや、別に想像と違って驚いているから、こんなに心もちが違うという訳ではない。
 彼が生きていたのだ。
 彼は生きていた。
 二十年以上もの間、この家で、この部屋で、常に忘れることのなかった不安や焦燥や恐怖が今は無い。
 彼とのほんのわずかな時間が全てを埋めてくれた。
───オレは景虎じゃねーよ
(それとも俺は、求めるあまりにあの人を創りあげてしまったのか)
 《調伏》をして見せたのに?まさか、夜叉衆以外の新たなる結縁者?
 そんな馬鹿な。そうではない。
 彼が景虎だと思ったから、空白が癒されたのではない。
 癒されたからこそ、彼が景虎なのだ。
 彼の名前や記憶の問題ではない。人格の問題ですらないかもしれない。
 自分の求め焦がれる魂。
 彼、仰木高耶は間違いなくそういう存在だ。
(だからこそあの人なのだ)
「義明。帰ってたのか」
 部屋へ入ってきた父親の声で思考を中断した。
「えぇ、先程戻りました」
─────
 一瞬、父親は直江を驚いたように見つめた。
「……何か良いことでもあったか」
 直江は思わず瞠目した。
 橘家の家主は昔から異様に鋭い。
 直江のわずかな変化を読み取ったらしい。
「………」
 すぐには返事が出来なかった。
(良いこと、なのか)
 記憶を封じるほどに傷ついた景虎と、その傷をつけた自分の再会。
 それと同時に景虎は自分を痛めつける人間でもある。
(いや、繰り返しはしない)
 過去は過去として考えるのだ。未来はまだ、決まってはいない。
 この再会を良いいものにしてみせる。
「ええ」
 力強く頷く直江を、父親はしばらく眺めてから、
「そうか、よかったな」
 とだけ言った。
「じゃあ、行ってくる」
「……気をつけて」
 玄関へ向かう父親の後を追って、母親も見送りに向かう。
 父親と末弟の会話を感慨深げに聞いていた照弘は、何も言わずに直江の肩をポンと叩いて部屋を出て行った。

 窓の外には楓の葉が瑞々しく茂っている。
 もうすぐ、恵みの雨の季節がやってくる。
 季節が動き始めていた。


  □ □ □


 真夜中の長野県立城北高校。
 その小さな灯りすら無い校舎内で、不気味に動く影があった。
「よいせっと」
 学校の机というのはどうしてこれほどまでに運びにくいのか。
 千秋修平こと安田長秀は思った。
「やっぱ転校生は一番後ろでしょ」
 明日から座る机と椅子。
 もちろんこの学校の教師も生徒も自分を転校生とは認識しない。
 1年からずっと一緒のクラスメイトだ。
(まっさか俺様がコーコーセーをやるハメになるとはな)
 それもこれも、記憶がないらしい景虎のせいだ。
 成田譲の姿だけは、家を張り込んで一応確認しておいたが、景虎の今の姿はまだ確認していない。
 思い浮かぶのは30年前の景虎の容姿だ。
 あの、やることなすこと全てが裏目に出た泥沼の時代。
 とにかくただ苦しくて、救いも何もなかった。
 自分を永遠に走り続けるマラソンランナーのように錯覚した。
 性にあわない。もうこりごりだ。そう思うのに。
 何故か自然と笑みが浮かんでしまう。
(何を期待してるんだか)
 別に景虎との再会を望んでいたわけでは無い。直江じゃあるまいし。
 景虎はもう浄化した。それで当然だと思っていた。
 30年前のあの状況はあまりにも悲惨すぎた。
 ただ。
 景虎は、もう無理だろう、というところでも必ず持ち直してくる人間だったから。
 心のどこかで、まだ信じていたのかもしれない。
 まるで不死鳥のように蘇る景虎の姿をもう一度眼に出来るかもしれないと。
 そういう時、自分は純粋に景虎という人間の強さに感動もするし、
そういう人間が自分達を率いてることが頼もしい、と思ったりもする。
 それでも、かなわないとは思わないけど。生意気だと思うのだけど。
───やめたやめた)
 自分で自分に言い訳をしても不毛だ。
 ヤツがどうでるか。単純に楽しみなんだ、俺は。

 窓の外には、ひどく明るい月がみえた。
 これからまた、新たな戦いが始まると言っていい。
 その戦いもまた泥沼なのか。その果てに何らかの勝利を掴めるのか。
 千秋は、眼鏡の奥から未来を見据えた。
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