午後9時。
資料に眼を通していた高耶はアジトの壁に時計を見やって、知らず知らずため息を漏らした。今日何度目だろうか。
やらなければいけないことはたくさんあるのに、気が急くばかりで一向に量が減らない。
とりあえず、電話を一本掛けようと携帯電話を手に取ったところで、ノックの音が部屋に響いた。
「中川です」
「あいてる」
部屋に入ってきた中川は小さな木の箱を手にしていた。
「これ、直りましたから」
「……悪いな」
この前の戦闘で、また霊枷を壊してしまったのだ。
大切そうに腕にはめる姿を、中川はじっと見つめる。
それに気付いて、高耶は口を開いた。
「何だ」
「……橘さんに会いたいときは、私が何か理由を作ってここへ呼んでもいいがですよ?」
唐突な申し出に、高耶は眼を丸くした。
直江を赤鯨衆に置くために、わざと突き放したことを見抜いた中川だ。
高耶がもどかしい思いをしているとみたんだろう。
赤鯨衆の中では中川にしかできない気の遣い方だな、と高耶は思った。
「そんな甘ったるい関係じゃない」
「ですが」
「いいんだ」
にべもない高耶に、それでも中川は諦めなかった。
「じゃあ橘さんにも何か贈りますか?」
高耶は笑って答える。
「誕生日じゃあるまいし。プレゼントなんて柄じゃない」
その言葉で、中川の頭上に疑問符が浮かんだ。
「誕生日、ですか」
そういえば、個人で誕生日を祝う習慣は古くない。
少なくとも昭和に入ってからだ。もちろん中川の生きた時代には無かった。
「現代人は自分が生まれた日を祝うんだ」
「ああ、聞いた事があります。面白か祭りですね。仰木さんはいつなんですか」
「……7月23日だ」
「じゃあ、その日になったら何かお祝いしないと」
そんなのいい、と言おうとしたが、中川はおやすみを言ってさっさと出て行ってしまった。
高耶は再びため息をつく。
誕生日。言わば換生という罪が確定した日。めでたいものではない。
が、ずいぶん昔に、"新たに生まれ直した日”だと言われたことを思い出した。
妹や母親や父親や、懐かしい人たちのことを思い返していて、ふと、あの男の誕生日はいつだったろうかと思った。
(確か、5月3日……)
自分の誕生日を祝ってもらったことはあったが、あの男の誕生日を一緒に過ごしたことはない。
別に祝う必要なんてないと思っている。
いつだって感謝しているのだ、自分は。
あの男という存在を。その全てを。
だけど、男の魂と出会うべくして出会ったかのような、橘義明という命。
数限り無い命の中からたったひとつ結びついたというその奇跡のような偶然を、一日だけ特別に祝うというのも悪くはないかもしれない。
愛しい魂が新たに生を受けた日。
その日が来たら伝えてみよう。
一言、
「誕生日、おめでとう」と。
dearest body
..........in usual night
□ □ □
男の胸に頭をあずけて、高耶は男の身体の傷痕ひとつひとつ、ここは?ここは?と指差していった。
男はその傷の所以を答える。
高耶は、自分のための傷には満足そうに笑み、知らない傷には歯を立てた。
自分の傷となるように。
そのうちに、高耶の指が背中を辿り始めたので、男は笑った。
見えないところは答えようがない、と。
そして、いつもの真摯な眼で付け加えた。
だけど、どの傷もあなたと供にあろうとしてついた傷であり、
全てあなたのものなのだ、と。
それを聞いても高耶は納得せず、背中の傷全てに、自分が所以を決めると言い出した。
高耶は頑固だ。
男はやりたいようにさせることにしたらしい。
短い夜は、いつもそんな風に過ぎていく……。
背中の傷の多さに悪戦苦闘しながら、高耶は思い出した。
そういえば今日、自分はこの男に伝えることがあったんだ。
これを云えば、男は微笑を浮かべて、礼を言ってくるだろう。
そうしたら、もう一度ひとつになって、この背中の傷痕全て、自分の爪で上書きしてしまおう。
「直江」
名を呼ぶと、男は顔をこちらへ向けた。
高耶はゆっくりと告げる。
「誕生日、おめでとう」
dearest body
..........in birth night
資料に眼を通していた高耶はアジトの壁に時計を見やって、知らず知らずため息を漏らした。今日何度目だろうか。
やらなければいけないことはたくさんあるのに、気が急くばかりで一向に量が減らない。
とりあえず、電話を一本掛けようと携帯電話を手に取ったところで、ノックの音が部屋に響いた。
「中川です」
「あいてる」
部屋に入ってきた中川は小さな木の箱を手にしていた。
「これ、直りましたから」
「……悪いな」
この前の戦闘で、また霊枷を壊してしまったのだ。
大切そうに腕にはめる姿を、中川はじっと見つめる。
それに気付いて、高耶は口を開いた。
「何だ」
「……橘さんに会いたいときは、私が何か理由を作ってここへ呼んでもいいがですよ?」
唐突な申し出に、高耶は眼を丸くした。
直江を赤鯨衆に置くために、わざと突き放したことを見抜いた中川だ。
高耶がもどかしい思いをしているとみたんだろう。
赤鯨衆の中では中川にしかできない気の遣い方だな、と高耶は思った。
「そんな甘ったるい関係じゃない」
「ですが」
「いいんだ」
にべもない高耶に、それでも中川は諦めなかった。
「じゃあ橘さんにも何か贈りますか?」
高耶は笑って答える。
「誕生日じゃあるまいし。プレゼントなんて柄じゃない」
その言葉で、中川の頭上に疑問符が浮かんだ。
「誕生日、ですか」
そういえば、個人で誕生日を祝う習慣は古くない。
少なくとも昭和に入ってからだ。もちろん中川の生きた時代には無かった。
「現代人は自分が生まれた日を祝うんだ」
「ああ、聞いた事があります。面白か祭りですね。仰木さんはいつなんですか」
「……7月23日だ」
「じゃあ、その日になったら何かお祝いしないと」
そんなのいい、と言おうとしたが、中川はおやすみを言ってさっさと出て行ってしまった。
高耶は再びため息をつく。
誕生日。言わば換生という罪が確定した日。めでたいものではない。
が、ずいぶん昔に、"新たに生まれ直した日”だと言われたことを思い出した。
妹や母親や父親や、懐かしい人たちのことを思い返していて、ふと、あの男の誕生日はいつだったろうかと思った。
(確か、5月3日……)
自分の誕生日を祝ってもらったことはあったが、あの男の誕生日を一緒に過ごしたことはない。
別に祝う必要なんてないと思っている。
いつだって感謝しているのだ、自分は。
あの男という存在を。その全てを。
だけど、男の魂と出会うべくして出会ったかのような、橘義明という命。
数限り無い命の中からたったひとつ結びついたというその奇跡のような偶然を、一日だけ特別に祝うというのも悪くはないかもしれない。
愛しい魂が新たに生を受けた日。
その日が来たら伝えてみよう。
一言、
「誕生日、おめでとう」と。
dearest body
..........in usual night
□ □ □
男の胸に頭をあずけて、高耶は男の身体の傷痕ひとつひとつ、ここは?ここは?と指差していった。
男はその傷の所以を答える。
高耶は、自分のための傷には満足そうに笑み、知らない傷には歯を立てた。
自分の傷となるように。
そのうちに、高耶の指が背中を辿り始めたので、男は笑った。
見えないところは答えようがない、と。
そして、いつもの真摯な眼で付け加えた。
だけど、どの傷もあなたと供にあろうとしてついた傷であり、
全てあなたのものなのだ、と。
それを聞いても高耶は納得せず、背中の傷全てに、自分が所以を決めると言い出した。
高耶は頑固だ。
男はやりたいようにさせることにしたらしい。
短い夜は、いつもそんな風に過ぎていく……。
背中の傷の多さに悪戦苦闘しながら、高耶は思い出した。
そういえば今日、自分はこの男に伝えることがあったんだ。
これを云えば、男は微笑を浮かべて、礼を言ってくるだろう。
そうしたら、もう一度ひとつになって、この背中の傷痕全て、自分の爪で上書きしてしまおう。
「直江」
名を呼ぶと、男は顔をこちらへ向けた。
高耶はゆっくりと告げる。
「誕生日、おめでとう」
dearest body
..........in birth night
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