「オレは……映像のようなもので魂は持っていないから、憑依はできない。けど……どうだろうな。もし、憑依できるなら………」
青年はしばらく悩んだ後で、
「一度だけ、試してみてしまうかもしれない。ほんの、短い間だけ、誰かに身体を借りて……そして……」
そのまま黙ってしまう青年の横で、私は何だか納得がいかなかった。
生きる意欲?肉体への執着?それがあれば、私は成仏する必要がないということか?
「私も憑依できるのか?」
問いかけると、青年は夢想から醒めたような顔になった。
そして、
「やってみるといい」
青年が顎で指し示した先には、カメラを持った若い男がいる。最近開発された、四国内でも使えるという最新式のカメラだ。どこかの報道機関の人間のように見える。
「どうやればいい」
「身体の中に入って、持ち主から主導権を奪うんだ」
私は頷くと、立ち上がって若者の方へと歩いて行った。
すると若者がこちらに気付いて、親しげに話しかけてくる。
「写真、取りますか?四国の外に御家族がいたりします?メッセージなどあれば、言付かりますが?」
それを聞いて、最近の新聞には四国の死者から寄せられた通信欄のようなものが必ずあることを思い出した。私は半信半疑だったからいつも読み飛ばしていたのだが、こういう事情があったのだな、と納得がいった。
「失礼します」
「え……!ちょ、ちょっと!」
私は一応断りを入ると、勢いをつけつつ思いきって若者の身体の中に飛び込んでみた。
すると。
「うわあっっ!!」
私は若者の身体から弾き返されて、地面に尻もちをついた。
「やめてくださいよ、もう」
当の若者はカメラを手にしたまま、頭をかいている。
いきなり憑依しようとするなんて、マナーがなってないよなあ、とかなんとか言いながら、彼は去って行ってしまった。
私は腰をさすりながら、仕方なく元の場所へと戻る。
一連の出来事を椅子に座ったまま眺めていた青年には、最初からこうなることがわかっていたらしい。
「簡単にはいかないだろう」
諭すように、そう言った。
「……いっつもこうだ」
私は再び胡坐をかくと、そう呟いた。
「誰かに憧れて真似をしてみても、絶対にうまくいかない。何か目標を持ってやってみても、達成できたためしがない」
いつも、あきらめてばかりの人生だった気がする。
「意志が弱いんだ……」
暗い気持ちになる私に、
「どうかな」
青年は首を傾げた。
「あんたは、誰かの真似をしていても、その人間と同じようにすること以外に道を見つけられたから同じにならなかったのかもしれない。定めた目標を達成する前に満足のいく結果を得られたから、無理して達成しようとはしなかったのかもしれない。それを、意思が弱いと呼ぶべきかどうか。自分自身をよく理解し、状況を判断する能力に長けているとも言えなくはないだろう?」
自分のことを、そんな風に言われたのは初めてだった。
「意思が強いとされる人間が目標を達成して、そのあとどうなる?きっと次の目標を掲げるだろう。その目標が達成されれば、その次。際限なく次へ、次へと……果たしてそれが、正しいことなのかどうか……」
青年は考えながら、先を続ける。
「オレは、そういう人間をひとり知ってる。そいつは、もっともっとと欲しがって、周囲を巻き込むだけ巻き込み、傷つけ、大勢の人間を殺し、この世の理までも根底から覆して……愛する人間に途方もない目標を押しつけて、死んでいった」
そこまで言うと、青年は私の目をまっすぐ見て言った。
「あんたは懸命だったから、そうならずに済んだのかもしれない」
青年が赤心を語ってくれたことがわかって、私も思わず本音で答えていた。
「そうかな……私がもっとうまく立ちまわれていれば、死なずにすんだのではないかな……」
「何言ってる。あんた、病気で死んだんだろ?」
「そうなんだけども」
「だったら、あんたが死んだのは、あんたのせいじゃない。なんだ、そんな風に考えてたのか?」
そう、私はそんな風に考えていたのだ。私は、人生のやり方を間違ったのではないかと。そのせいで死ぬことになってしまったのではないかと。そして、自分の人生が全て誤りであったという結論が出てしまうことが怖くて、過去を振り返ることができないでいる。もしかしたら、歩くことが嫌なのも、振り返る勇気が持てないからかもしれない……。
「答えは、あんたにしか出せないんだ」
青年はきっぱりと言った。
「そして普通、その答えは歩きながら考えるもんなんだけどな……」
どうしたもんか、という顔をしていた青年が、ハッと顔をあげた。まるで、誰かに呼ばれたかのように。
「あんた、運がいい」
その時、青年の笑うのを、私は初めて目にした。人の心を惹きつける、何とも魅力的な笑顔だった。
「もしも本当に、遍路道を歩かずともあの世に行ける方法があるとしたら、どうする?」
「え」
「今すぐこの場で、浄化出来るとしたら?」
「……そんなこと」
「浄化をしてしまえば、過去を振り返るチャンスは二度と来ない。そのことを踏まえて考えてみてくれ」
有無を言わさぬ強さでそう言うと、青年は腕組みをしたまま眼を閉じてしまった。
「…………」
考えろと言われても、困ってしまう。散々歩きたくないとゴネた身だ。けれど青年と話しているうちに、彼とともに歩いてみるのも悪くはないかもしれないと思い始めていた。人生を一から見つめ直すなんて、自分ひとりでは怖くて出来ないけれど、彼とふたりならば出来そうな気がする。もしどんな結果になったとしても、彼ならきっと的確なアドバイスをくれるだろう。
そう考えると、ゴールへ辿り着いた時に彼が自分に対してどんな言葉をかけてくれるのか、非常に興味が湧いてきた。
それからしばらく経って、青年は椅子からスッと立ち上がると、私に告げた。
「時間切れだ」
見ると駐車場に、一台の車が入って来る。停まった車からは、黒づくめの男がひとり、降りてきた。
「こっちだ」
青年が声をかけると、男はこちらへ向かって歩いてくる。
その男は、生身の人間のように見えた。が、実際のところはよくわからない。不思議な風貌の持ち主で、その容姿には関係なく、何か年月を超越したような雰囲気を持つ男だった。
青年と視線を合わせても、男は言葉を発さずに頷くのみだ。
「さあ、どうする?」
青年が、私に向かって言った。
「答えを聞こう」
私は深く息を吸うと、頭の中で準備しておいた答えを言った。
「歩いてみようと思う」
すると青年は、嬉しそうな表情になって頷いた。
「自分の中の答えを、何とか探し当てたいと思う。君も一緒に来てくれるんだろう」
「もちろんだ」
青年は私の言葉に応えると、今度は男の方に向き直った。
「だそうだ」
「ええ」
男は深く響く、印象的な声で答えた。
「浦戸に寄ってから剣山に向かうんだな?」
「そのつもりです」
「なら、足摺にも行ってくれ。少し、気が乱れてる」
「わかりました」
男はそう答えると、一礼してそのまま車へと戻っていく。
「───……」
男の後ろ姿を見送る青年の瞳は、もしかしたら私の思い違いかもしれないが、少し、切なげに見えた。
やがて車が出ていくと、
「さてと」
青年は私に向かって言った。
「オレの名前を言っておく」
そう言えば、私たちはまだ、自己紹介すらしていなかった。
「オレの名前は仰木高耶」
その名を聞いて、私はようやっと思い出した。世間に"今空海"の名を馳せながらも、若くして亡くなったという青年の話を……。
「あんたの名前は知ってるけど……何て呼べばいい?」
「私は───」
私は仰木高耶に、自分の苗字を言った。
青年はしばらく悩んだ後で、
「一度だけ、試してみてしまうかもしれない。ほんの、短い間だけ、誰かに身体を借りて……そして……」
そのまま黙ってしまう青年の横で、私は何だか納得がいかなかった。
生きる意欲?肉体への執着?それがあれば、私は成仏する必要がないということか?
「私も憑依できるのか?」
問いかけると、青年は夢想から醒めたような顔になった。
そして、
「やってみるといい」
青年が顎で指し示した先には、カメラを持った若い男がいる。最近開発された、四国内でも使えるという最新式のカメラだ。どこかの報道機関の人間のように見える。
「どうやればいい」
「身体の中に入って、持ち主から主導権を奪うんだ」
私は頷くと、立ち上がって若者の方へと歩いて行った。
すると若者がこちらに気付いて、親しげに話しかけてくる。
「写真、取りますか?四国の外に御家族がいたりします?メッセージなどあれば、言付かりますが?」
それを聞いて、最近の新聞には四国の死者から寄せられた通信欄のようなものが必ずあることを思い出した。私は半信半疑だったからいつも読み飛ばしていたのだが、こういう事情があったのだな、と納得がいった。
「失礼します」
「え……!ちょ、ちょっと!」
私は一応断りを入ると、勢いをつけつつ思いきって若者の身体の中に飛び込んでみた。
すると。
「うわあっっ!!」
私は若者の身体から弾き返されて、地面に尻もちをついた。
「やめてくださいよ、もう」
当の若者はカメラを手にしたまま、頭をかいている。
いきなり憑依しようとするなんて、マナーがなってないよなあ、とかなんとか言いながら、彼は去って行ってしまった。
私は腰をさすりながら、仕方なく元の場所へと戻る。
一連の出来事を椅子に座ったまま眺めていた青年には、最初からこうなることがわかっていたらしい。
「簡単にはいかないだろう」
諭すように、そう言った。
「……いっつもこうだ」
私は再び胡坐をかくと、そう呟いた。
「誰かに憧れて真似をしてみても、絶対にうまくいかない。何か目標を持ってやってみても、達成できたためしがない」
いつも、あきらめてばかりの人生だった気がする。
「意志が弱いんだ……」
暗い気持ちになる私に、
「どうかな」
青年は首を傾げた。
「あんたは、誰かの真似をしていても、その人間と同じようにすること以外に道を見つけられたから同じにならなかったのかもしれない。定めた目標を達成する前に満足のいく結果を得られたから、無理して達成しようとはしなかったのかもしれない。それを、意思が弱いと呼ぶべきかどうか。自分自身をよく理解し、状況を判断する能力に長けているとも言えなくはないだろう?」
自分のことを、そんな風に言われたのは初めてだった。
「意思が強いとされる人間が目標を達成して、そのあとどうなる?きっと次の目標を掲げるだろう。その目標が達成されれば、その次。際限なく次へ、次へと……果たしてそれが、正しいことなのかどうか……」
青年は考えながら、先を続ける。
「オレは、そういう人間をひとり知ってる。そいつは、もっともっとと欲しがって、周囲を巻き込むだけ巻き込み、傷つけ、大勢の人間を殺し、この世の理までも根底から覆して……愛する人間に途方もない目標を押しつけて、死んでいった」
そこまで言うと、青年は私の目をまっすぐ見て言った。
「あんたは懸命だったから、そうならずに済んだのかもしれない」
青年が赤心を語ってくれたことがわかって、私も思わず本音で答えていた。
「そうかな……私がもっとうまく立ちまわれていれば、死なずにすんだのではないかな……」
「何言ってる。あんた、病気で死んだんだろ?」
「そうなんだけども」
「だったら、あんたが死んだのは、あんたのせいじゃない。なんだ、そんな風に考えてたのか?」
そう、私はそんな風に考えていたのだ。私は、人生のやり方を間違ったのではないかと。そのせいで死ぬことになってしまったのではないかと。そして、自分の人生が全て誤りであったという結論が出てしまうことが怖くて、過去を振り返ることができないでいる。もしかしたら、歩くことが嫌なのも、振り返る勇気が持てないからかもしれない……。
「答えは、あんたにしか出せないんだ」
青年はきっぱりと言った。
「そして普通、その答えは歩きながら考えるもんなんだけどな……」
どうしたもんか、という顔をしていた青年が、ハッと顔をあげた。まるで、誰かに呼ばれたかのように。
「あんた、運がいい」
その時、青年の笑うのを、私は初めて目にした。人の心を惹きつける、何とも魅力的な笑顔だった。
「もしも本当に、遍路道を歩かずともあの世に行ける方法があるとしたら、どうする?」
「え」
「今すぐこの場で、浄化出来るとしたら?」
「……そんなこと」
「浄化をしてしまえば、過去を振り返るチャンスは二度と来ない。そのことを踏まえて考えてみてくれ」
有無を言わさぬ強さでそう言うと、青年は腕組みをしたまま眼を閉じてしまった。
「…………」
考えろと言われても、困ってしまう。散々歩きたくないとゴネた身だ。けれど青年と話しているうちに、彼とともに歩いてみるのも悪くはないかもしれないと思い始めていた。人生を一から見つめ直すなんて、自分ひとりでは怖くて出来ないけれど、彼とふたりならば出来そうな気がする。もしどんな結果になったとしても、彼ならきっと的確なアドバイスをくれるだろう。
そう考えると、ゴールへ辿り着いた時に彼が自分に対してどんな言葉をかけてくれるのか、非常に興味が湧いてきた。
それからしばらく経って、青年は椅子からスッと立ち上がると、私に告げた。
「時間切れだ」
見ると駐車場に、一台の車が入って来る。停まった車からは、黒づくめの男がひとり、降りてきた。
「こっちだ」
青年が声をかけると、男はこちらへ向かって歩いてくる。
その男は、生身の人間のように見えた。が、実際のところはよくわからない。不思議な風貌の持ち主で、その容姿には関係なく、何か年月を超越したような雰囲気を持つ男だった。
青年と視線を合わせても、男は言葉を発さずに頷くのみだ。
「さあ、どうする?」
青年が、私に向かって言った。
「答えを聞こう」
私は深く息を吸うと、頭の中で準備しておいた答えを言った。
「歩いてみようと思う」
すると青年は、嬉しそうな表情になって頷いた。
「自分の中の答えを、何とか探し当てたいと思う。君も一緒に来てくれるんだろう」
「もちろんだ」
青年は私の言葉に応えると、今度は男の方に向き直った。
「だそうだ」
「ええ」
男は深く響く、印象的な声で答えた。
「浦戸に寄ってから剣山に向かうんだな?」
「そのつもりです」
「なら、足摺にも行ってくれ。少し、気が乱れてる」
「わかりました」
男はそう答えると、一礼してそのまま車へと戻っていく。
「───……」
男の後ろ姿を見送る青年の瞳は、もしかしたら私の思い違いかもしれないが、少し、切なげに見えた。
やがて車が出ていくと、
「さてと」
青年は私に向かって言った。
「オレの名前を言っておく」
そう言えば、私たちはまだ、自己紹介すらしていなかった。
「オレの名前は仰木高耶」
その名を聞いて、私はようやっと思い出した。世間に"今空海"の名を馳せながらも、若くして亡くなったという青年の話を……。
「あんたの名前は知ってるけど……何て呼べばいい?」
「私は───」
私は仰木高耶に、自分の苗字を言った。
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