まるで、不安定な海のよう。
凪いだ水面が空を映していたかと思えば、急に荒れだして大小の波を繰り出してくる。
わかっているはずだった。
だから恐る恐る、波打ち際あたりで眺めるだけのつもりだった。
それなのに、あなたの波は予想外に大きくて、海中へと引きずり込まれた。
あなたを映した目が熱い。
あなたに触れた皮膚が熱い。
心があなたで溢れて、息が出来ない。
□ □ □
「晴家と?別にいーけど」
翌朝、今日は高耶と千秋、小太郎と綾子で行動することになっていたはずなのに、どうしても小太郎が高耶と一緒に行くというものだから、高耶&小太郎組と千秋&綾子組で行動することになった。
綾子とふたり、レパードに乗り込もうとしている千秋のもとに、高耶がひとりでやってくる。
「昨日の夜、何かあったのか」
「ん?何でだ」
「直江の………眼が、いつもと違う気がしたから」
「……………」
確かに、先程の組変えは長秀からしてみても少々強引な感じがした。
昨晩話したことが、長秀の脳裏に蘇る。
小太郎は小太郎なりに一晩悩んで、そうしようと決めたのだろう。
そして、その悩みの根源が何も知らない顔をして目の前に立っている。
「愛想尽かされたと思ってた飼い犬が、久々に尻尾振って寄って来たから、喜んでるって訳か」
「長秀っ!」
綾子が慌てて隣から怒鳴っても、もう遅い。
すっかり機嫌を損ねた高耶は、千秋をギロリとひと睨みして戻っていった。
「ちょっとお、あんな言い方しなくたって!」
「事実だろ」
千秋はうんざりという顔を作って見せた。
「いつまで続けるんだ、こんなこと」
「いつまでって言ったって……」
「いずれ駄目になるってわかってんのに見てるだけ、なんて俺の性分じゃねーよ」
直江じゃあるまいし、と千秋は言ってみて、自分で納得してしまった。
確かにこんな役目は、マゾヒストのあの男にピッタリだ。
ふたりを見ると、小太郎がちょうど助手席のドアを開けて、高耶が乗り込むところだ。
(小太郎には無理だ)
彼なりによくやってると思う。研究熱心なのも認める。
けれど、あの景虎と直江の関係を、赤の他人が模倣できる訳がない。
(身内にだって、理解出来ねーのに)
更に問題なのは、その研究熱心さがどこからくるものなのか、ということだ。
北条の家に対する忠誠心なのか、氏康に対する忠義心なのか、単なる忍びとしての仕事熱心さなのか、それとも……。
(景虎に対する、特別な感情のせいか……)
"上杉景虎は、人の心を狂わせる"。
狂わされた人間を、千秋は数え切れないほど知っている。
景虎が一方的に悪いとは、千秋も思ってはいない。あんな危険人物に、不用意に近づくほうも悪い。
しかも現在は、景虎自身が正常ではない状態なのだ。
狂わせる側だったはずの景虎が、"直江の死"という事実に完全に狂わされてしまっている。
愛情にしても憎悪にしても、またはそのどちらでなくとも、誰もがもつ執着心という代物は非常にやっかいだ。
ある時は物を盗ませ、ある時は人を殺めさせ、時には《闇戦国》などという裏社会をも作り出す。
更には、人間の心そのものをのみこんでしまう危険性をも孕んでいるのだ。
そしてのみこまれてしまった人間は、心の破滅を迎えるまでそのことに気付かない。
周囲がどんなに警告を発したところで、執着しているもの以外が見えないのだから、聞きやしない。
千秋の脳裏に、突き進み続けた挙句、とうとう命まで失ってしまった黒服の男の姿が蘇る。
「哀れだな」
小さく呟いた千秋に、助手席に乗り込もうとしていた綾子が動きを止めて訊いた。
「景虎が?」
景虎も、小太郎も。
直江も、誰も彼も。
「……人間全部」
扉を開けた千秋は、厳しい表情で運転席へと乗り込んだ。
前編 ≪≪
凪いだ水面が空を映していたかと思えば、急に荒れだして大小の波を繰り出してくる。
わかっているはずだった。
だから恐る恐る、波打ち際あたりで眺めるだけのつもりだった。
それなのに、あなたの波は予想外に大きくて、海中へと引きずり込まれた。
あなたを映した目が熱い。
あなたに触れた皮膚が熱い。
心があなたで溢れて、息が出来ない。
□ □ □
「晴家と?別にいーけど」
翌朝、今日は高耶と千秋、小太郎と綾子で行動することになっていたはずなのに、どうしても小太郎が高耶と一緒に行くというものだから、高耶&小太郎組と千秋&綾子組で行動することになった。
綾子とふたり、レパードに乗り込もうとしている千秋のもとに、高耶がひとりでやってくる。
「昨日の夜、何かあったのか」
「ん?何でだ」
「直江の………眼が、いつもと違う気がしたから」
「……………」
確かに、先程の組変えは長秀からしてみても少々強引な感じがした。
昨晩話したことが、長秀の脳裏に蘇る。
小太郎は小太郎なりに一晩悩んで、そうしようと決めたのだろう。
そして、その悩みの根源が何も知らない顔をして目の前に立っている。
「愛想尽かされたと思ってた飼い犬が、久々に尻尾振って寄って来たから、喜んでるって訳か」
「長秀っ!」
綾子が慌てて隣から怒鳴っても、もう遅い。
すっかり機嫌を損ねた高耶は、千秋をギロリとひと睨みして戻っていった。
「ちょっとお、あんな言い方しなくたって!」
「事実だろ」
千秋はうんざりという顔を作って見せた。
「いつまで続けるんだ、こんなこと」
「いつまでって言ったって……」
「いずれ駄目になるってわかってんのに見てるだけ、なんて俺の性分じゃねーよ」
直江じゃあるまいし、と千秋は言ってみて、自分で納得してしまった。
確かにこんな役目は、マゾヒストのあの男にピッタリだ。
ふたりを見ると、小太郎がちょうど助手席のドアを開けて、高耶が乗り込むところだ。
(小太郎には無理だ)
彼なりによくやってると思う。研究熱心なのも認める。
けれど、あの景虎と直江の関係を、赤の他人が模倣できる訳がない。
(身内にだって、理解出来ねーのに)
更に問題なのは、その研究熱心さがどこからくるものなのか、ということだ。
北条の家に対する忠誠心なのか、氏康に対する忠義心なのか、単なる忍びとしての仕事熱心さなのか、それとも……。
(景虎に対する、特別な感情のせいか……)
"上杉景虎は、人の心を狂わせる"。
狂わされた人間を、千秋は数え切れないほど知っている。
景虎が一方的に悪いとは、千秋も思ってはいない。あんな危険人物に、不用意に近づくほうも悪い。
しかも現在は、景虎自身が正常ではない状態なのだ。
狂わせる側だったはずの景虎が、"直江の死"という事実に完全に狂わされてしまっている。
愛情にしても憎悪にしても、またはそのどちらでなくとも、誰もがもつ執着心という代物は非常にやっかいだ。
ある時は物を盗ませ、ある時は人を殺めさせ、時には《闇戦国》などという裏社会をも作り出す。
更には、人間の心そのものをのみこんでしまう危険性をも孕んでいるのだ。
そしてのみこまれてしまった人間は、心の破滅を迎えるまでそのことに気付かない。
周囲がどんなに警告を発したところで、執着しているもの以外が見えないのだから、聞きやしない。
千秋の脳裏に、突き進み続けた挙句、とうとう命まで失ってしまった黒服の男の姿が蘇る。
「哀れだな」
小さく呟いた千秋に、助手席に乗り込もうとしていた綾子が動きを止めて訊いた。
「景虎が?」
景虎も、小太郎も。
直江も、誰も彼も。
「……人間全部」
扉を開けた千秋は、厳しい表情で運転席へと乗り込んだ。
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