───怨霊から存在を奪い取って、それを存在理由にして四百年も生きて………
憎んでも憎みきれない男の声を聴きながら、時折その姿を移す砂嵐の画面の前で、草間清兵衛は心の片隅になにか引っかかるものを感じていた。
───ずっとずっと昔から、この世に残って迷える霊たちをあの世に送ることをなりわいとして………
───仏と結縁して強い法力を持っておられるとかで………
引っかかっていたものの正体が見え始めて、思わず拳を握り締めた。
───おまえたちがオレの家だと思ってる
───この四国の地は、あの方にとっていつか"還る地"になる……
突如として、視界が開けた。
身体中に鼓動が響く。
血が熱く滾る。
目の前に大きな"時のうねり"のようなものを感じた。
遥か以前、時が誕生し、そこから現在まで紡がれてきた悠久の時間。
膨大な時の粒が流れる様がみえた。
ひとりの人間が感じる刹那が粒ひとつを生み、ひとりの人間の一生は時の河となって流れていた。
そしてその中で、上杉景虎という男の生は他の人々とは比べ物にならない位、大きく流れていた。
───自らこの世から旅立つことができるよう、手助けしたい
夜叉共の400年もの永きに亘る、虐げられた者の嘆きを無常に砕く行為。
自分にしてみれば到底許せることの出来ない行い。
けれど……。
そのことが一人の女性を救い、その女性の愛情で自分は生かされ、嶺次郎と出会い、今、ここに在る。
なんだ。結局自分は上杉の行為の延長にいるのではないか。
上杉景虎がいなければ、今の自分はなかったのではないか。
嶺次郎も、赤鯨衆も、上杉の河から別れ出た、支流の更にまた支流。
(否、そんなはずはない)
自分達は自分達の手で道を開いてきたはずだ。
支流は延長などではない。
支流は本流の干渉など受けない。
支流は分かれた時点で本流となるのだ。
自らの力で行く先を決められる。
先に行くほど、更に複雑に流れを分けながら。
人は自分で自分の行いの全てを見ることはないのかもしれない。
景虎が自分の過去の行為に気付いていないように。
元親公の行いが自分にとって彼の意図以上の意味を持ってしまったように。
物事は複雑に入り組んでいるのだ。
己という河がどこから流れ出でたのか。
己という河から何が流れ出でたのか。
人にはそれを知る術はないのかもしれない。
ただ草間に解ることはひとつ。
夜叉共が鬼と蔑まれても、歴史の表舞台に出ることがなくとも、ただ地道に己の流れを刻んできたということだ。
最強の敵にも心の葛藤にも屈することなく、道を切り開いてきたということだ。
その種を蒔くような行為が今鮮やかに芽吹いている。
どんな徒労も未来に繋がっているのかもしれない。
今あるものや未来のものだけでなく、過去の情熱やもう二度と取り戻せないものも、決して無駄ではなかったのかもしれない。
己の眼で結果をみることはなくとも、嘆く必要はないのかもしれない。
そうだとして。
これからいったい自分は何を為すべきか?
時が凝ることなく流れる意味とは何なのか。
繋がり続ける意味とはなんなのか。
その流れによって運ばれるべきものがあるからではないのか。
受け継がれていくものがあるからではないのか。
誰かが信じ貫いてきたものの舳先に立つ自分。
出来ることなら、信じるものをもう一度取り戻したい。それを貫きたい。
そうすればいつか自分が信じたものの果てに誰かを立たせることが出来るかもしれない。
そこにこそ自分を生かす道があるのではないのか
それでこそ元親公が自分を救ってくれたことに報いることが出来るのではないだろうか。
真に自分が救われる時ではないのか。
だがいま、心を深く浚っても、激しく燃えるものがない。
どうしても貫きたいものはもうこの胸にはない。
いま、心に見えるものは─── 。
問うべきは嶺次郎でも他の何者でもなく、自分の心だったようだ。
草間の眼には失われたはずの輝きが戻り始めていた。
憎んでも憎みきれない男の声を聴きながら、時折その姿を移す砂嵐の画面の前で、草間清兵衛は心の片隅になにか引っかかるものを感じていた。
───ずっとずっと昔から、この世に残って迷える霊たちをあの世に送ることをなりわいとして………
───仏と結縁して強い法力を持っておられるとかで………
引っかかっていたものの正体が見え始めて、思わず拳を握り締めた。
───おまえたちがオレの家だと思ってる
───この四国の地は、あの方にとっていつか"還る地"になる……
突如として、視界が開けた。
身体中に鼓動が響く。
血が熱く滾る。
目の前に大きな"時のうねり"のようなものを感じた。
遥か以前、時が誕生し、そこから現在まで紡がれてきた悠久の時間。
膨大な時の粒が流れる様がみえた。
ひとりの人間が感じる刹那が粒ひとつを生み、ひとりの人間の一生は時の河となって流れていた。
そしてその中で、上杉景虎という男の生は他の人々とは比べ物にならない位、大きく流れていた。
───自らこの世から旅立つことができるよう、手助けしたい
夜叉共の400年もの永きに亘る、虐げられた者の嘆きを無常に砕く行為。
自分にしてみれば到底許せることの出来ない行い。
けれど……。
そのことが一人の女性を救い、その女性の愛情で自分は生かされ、嶺次郎と出会い、今、ここに在る。
なんだ。結局自分は上杉の行為の延長にいるのではないか。
上杉景虎がいなければ、今の自分はなかったのではないか。
嶺次郎も、赤鯨衆も、上杉の河から別れ出た、支流の更にまた支流。
(否、そんなはずはない)
自分達は自分達の手で道を開いてきたはずだ。
支流は延長などではない。
支流は本流の干渉など受けない。
支流は分かれた時点で本流となるのだ。
自らの力で行く先を決められる。
先に行くほど、更に複雑に流れを分けながら。
人は自分で自分の行いの全てを見ることはないのかもしれない。
景虎が自分の過去の行為に気付いていないように。
元親公の行いが自分にとって彼の意図以上の意味を持ってしまったように。
物事は複雑に入り組んでいるのだ。
己という河がどこから流れ出でたのか。
己という河から何が流れ出でたのか。
人にはそれを知る術はないのかもしれない。
ただ草間に解ることはひとつ。
夜叉共が鬼と蔑まれても、歴史の表舞台に出ることがなくとも、ただ地道に己の流れを刻んできたということだ。
最強の敵にも心の葛藤にも屈することなく、道を切り開いてきたということだ。
その種を蒔くような行為が今鮮やかに芽吹いている。
どんな徒労も未来に繋がっているのかもしれない。
今あるものや未来のものだけでなく、過去の情熱やもう二度と取り戻せないものも、決して無駄ではなかったのかもしれない。
己の眼で結果をみることはなくとも、嘆く必要はないのかもしれない。
そうだとして。
これからいったい自分は何を為すべきか?
時が凝ることなく流れる意味とは何なのか。
繋がり続ける意味とはなんなのか。
その流れによって運ばれるべきものがあるからではないのか。
受け継がれていくものがあるからではないのか。
誰かが信じ貫いてきたものの舳先に立つ自分。
出来ることなら、信じるものをもう一度取り戻したい。それを貫きたい。
そうすればいつか自分が信じたものの果てに誰かを立たせることが出来るかもしれない。
そこにこそ自分を生かす道があるのではないのか
それでこそ元親公が自分を救ってくれたことに報いることが出来るのではないだろうか。
真に自分が救われる時ではないのか。
だがいま、心を深く浚っても、激しく燃えるものがない。
どうしても貫きたいものはもうこの胸にはない。
いま、心に見えるものは─── 。
問うべきは嶺次郎でも他の何者でもなく、自分の心だったようだ。
草間の眼には失われたはずの輝きが戻り始めていた。
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