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短編Index




  動物に換生は出来ない。

  してしまえば動物の脳でしかものを考えられなくなるからだ。

  本当はそれをしてもよかった。

  もう、人でいることに疲れていた。

  何が自分で、何が自分ではないのか。

  そんなことはもう考えたくなかった。





 高耶の後を追って大正砦へと来ていた小太郎は、砦の片隅で寝そべっていた。
 ピンと立った耳には様々な音が聞こえてくる。
 すぐそばを流れる清流の水音。岩にあたって跳ね返る水飛沫。
 吹き抜ける風の音やその風に乗る鳥のはばたき。何かの動物の鳴き声。虫の羽音。
 木々は太陽の光を浴びて呼吸している。葉の擦れる音。
 自然の営みを感じ取りながらまるで自分もその一部になったように感じていると、騒がしい足音が静寂を破った。



 高耶の腕を引っ張って無理やり連れてきたのは兵頭だ。
「いつまであの男をここに置いておくつもりですか?!」
 大きな声を出す兵頭の手を、高耶は振り払った。
「次の作戦が終了したら宿毛へ帰す」
 兵頭はそんな言葉では納得しなかった。
「次の作戦にはもう必要ないでしょう。さっさと帰すべきです!」
 それでも視線をそらせたまま何も言わない高耶に、イラついたように言う。
「そんなに傍に置いておきたいがですか」
 高耶がやっと兵頭と視線を合わせた。
 睨み付けている。
「昨夜、相談があって隊長の部屋を訪ねました。けれど、おられんかったです。あの男と一緒におったんやないがですか?」
 施設内を探し回ったのに、見つからなかった。ふたりしてこそこそと隠れて、一体何を企んでいるのか。
「何の話をしていたんですか」
 高耶は苦い顔で口を閉ざしたままだ。
「あの男に話せてわしには話せないことちゅうのはどんなことですか。上杉の頃の昔話でもしちょったがですか。これじゃあ信頼関係もなにもあったもんじゃない」
 兵頭はもう一度高耶の腕を掴んだ。
「橘に価値があると思うのならそれは思い込みです。おんしは気づくべきだ。過去に囚われちょる。そんな感傷は捨てるべきです」
 高耶を引き寄せて、無理やり視線を合わせた。
「換生者でありながら刺客のような捨て駒に甘んじているだけの男です。その程度の実力しかない男を同じ元上杉という理由で厚遇しているようにしかみえない」
 高耶は思わず反論しかけたようだったが、結局黙ったまま動かない。しかし握った拳が震えていた。
 兵頭としては橘の正体に探りを入れたつもりだったのだが、高耶が乗って来ないとわかって仕方なく自ら喋りだす。
「あの男と同じようにわしを扱ってもらえれば、わしはあの男よりもっとおんしを活かしてやれちゅうがです。もちろんポジションは奪い取ればええ。与えられないことを呪ったりはしない。けれど評価が正当でなければどうしようもありません」
 つまり兵頭は、過去の共有を理由に高耶が橘を信頼するのは、フェアじゃないと言いたいのだ。
「上杉なんて名は忘れるべきです。おんしは赤鯨衆の仰木高耶だ。上杉に話せて赤鯨衆に話せないことがあってはならないはずです」
 でなければ反逆とみなされても仕方がない、と兵頭は付け足した。
 ずっと黙って聞いていた高耶がやっと口を開いた。
「お前とあの男のことについて議論する気はない。けど、お前の忠告は聞いておく。疑われるような行動は慎むようにする」
 それでもまだ納得のいってないことが顔に出てしまったせいか、頼むからほっといてくれ!、と強めに言って、高耶は行ってしまった。
 あの男が現れてから高耶は変わった、と兵頭は思う。
 それは、自分や他の者が高耶にしてやれないことを、あの男がしてやれるからなのだろう。
 兵頭は胸を焼くような衝動に、拳を握ってじっと耐えた。



 小太郎は、立ち尽くす兵頭を静かに見つめていた。
 それに気づいて兵頭もこちらを見てくる。まるで、自分はお前のようにはならない、とでもいうように。
 もちろん小太郎の正体について、高耶は誰にも話していない。直江にも口止めしている。
 それでも兵頭には何か感ずるものがあったのだろうか。それとも小太郎の小心がそう思わせるのだろうか。
 しばらくして、兵頭はアジトへと戻っていった。

小太郎には兵頭の心の内がみえるようだった。
 自分が誰よりもそばにいたいと思う欲望。
 高耶の信望者が、あのふたりの絆を眼にすれば、うらやましいと思わずにはいられない。
 高耶の傍らを奪いたい、という願望を抱いても不思議ではない。
 過去に囚われるなという兵頭が、多分一番囚われている。
 それでは、根本的に問題が違うのだ。
 高耶にとって直江は唯一無二だ。その存在こそが高耶にとって必要であり、いわば名前そのものがポジションのようなものだ。
 ただ、それで言えば小太郎も高耶にとっては唯一無二だと、小太郎は知っている。彼には一人一人の人間全員が唯一無二なのだ。高耶の生き方にかかわりたいと思い、全力で高耶にぶつかっていけば、高耶はそれに応えてくれる。そうすることでしか、彼との絆は強まらない。
 他人の真似ではなく、他人のポジションを奪うのでもなく、誰よりも自分であることに忠実な人間であることが大事なのだ。多分直江という男はそれをずっとやってきた。
 もし兵頭が、高耶と直江の関係にとらわれているとしたら、それでは駄目だ。
 高耶にとっては兵頭も唯一無二であることは変わらない。
 そこを伸ばしていくしかないのだ。

 ただ今は、それを伝える術もない。伝えようとも思わない。
 以前なら、サンプルのひとつとして興味を抱いてたかもしれない。
 けれど今は他人の人生を知る必要はない。
 サンプルを集める必要はもうないのだ。
 小太郎は小太郎として高耶の隣にあればいい。
 人の体でいるとどうしても頭で動いてしまう。
 動作の一つ一つ、目線、声色、全てを計算して動かしてしまう。
 ケモノになってやっとそれから開放された。
 すごくシンプルになった。
 ごくわずかな本能、食欲や睡眠欲と単純な望みがひとつだけ。
 高耶の隣にいて飾らない表情を見ていると、満ち足りた気分になる。
 こんな気分にしてくれる彼を絶対に守りたいと思う。
 小太郎は、そんな風に考える自分が今、とても自分らしいと思っている。
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