他人に対する愛なんて、オレの中には微塵もない。
いつだってオレを苦しめる、こんな世界、愛してなんかいない。
魂核寿命?馬鹿げてる。死者と生者の間で気を揉み続けた結果がこれか。
体力と気力をすり減らし、魂まですり減らしていたということか。
もう他人のワガママに付き合うのはご免なんだ。面倒見きれない。死のうが生きようが、好きにすればいい。この世だろうがあの世だろうが、好き勝手にやってくれ。
どうかオレを巻き込まないで欲しい。もう、放っておいてくれ。
これはたぶん責任転嫁なんだ。
願いだなんてキレイなものじゃなく、どうしても消えないこのエゴを、自分ではもう背負いきれないと、背負いたくないと音を上げて、他人に押し付けたいんだ。
だって愚かな人間達は、説得しようとしたって、必死で叫んだって、我が身を振り返ろうともしない。何も解ろうとしない。知ろうともしない。聞く耳をもたない。
自分に都合の悪い部分から眼を逸らし、見たいものだけしか見たがらない。
手の中にあるもの事など考えない。無いものばかりを追いかける。隣を見ては羨み、その隣を見ては蔑む。
そうして満足を拒否し続けた心は、肉体が滅びても消えずに残る。
喪失って初めて気付く愚か者達。さあ、足宛くがいい。苦しめばいい。それはきっと手にしていたものの尊さに気付けなかったお前達への罰だ。その手の中のもので満足しきれなかった、お前達の貪欲さに対する制裁だ。
否定された?虐げられた?ならばお前達が他人にしてきたことは何だ?
救ってやろうなんて思わない。手助けなんてするつもりもない。
けれどお前達は自分の醜い足掻きに他人を巻き込もうとさえする。自己弁護の咆哮を上げ、他を引きずり込み、巻き込まれ堕とされた者がまた叫び、足掻く。無意味に拡大するその愚行の輪。その存在の矮小さと醜さに呆れすぎて言葉もない。
もういい。もう本当に手に負えない。
もう優しく誘導したりはしない。気長に待ってもやらない。もう期待したりしたくない。聖なるチカラも使ってやらない。オレはもう自分の手は汚したくない。
今からオレは、この救いようのないループを破壊する。
まずはお前達が見たがらないものを強制的に見せてやろう。人間のどうしようもない馬鹿さ加減を目の前に突き出してやろう。そうすればその救いようのない脳ミソも、手にしている特権とその有限性に気付くことが出来るだろう。それでもすぐには理解できない、しない者たちがいるというのなら、羨み足掻く者が絶えないというのなら、絶対に他人を巻き込めないようにしてやる。怨嗟の鎖を断ち切ってやる。
オレを好きなだけ責めればいい。見たくなどなかったと、肉体の無い延命など必要ないと、自己救済に巻き込むなと、単なるエゴだと、新ルールの押し付けだと、独断の法改正だと。オレはそれを否定はしない。
けれどもこれは、積もり積もったお前達の罪が具現化したものだ。お前達が見まいとしてきた、世界の不条理そのものの姿だ。
人が人を否定し、拒否し続ける限りこの反自然の独立国は機能し続ける。終わらせたいというのなら、そのための答えは、お前達自身の中にこそある。まずは、お前達が知らなければならない。自分自身の心の奥底にある、誰にも譲ることの出来ない自分だけの真実を。そして、互いのそれを認め合い、尊重しあわなければならない。
もし、そのかけがえのない真実を、侵略し蹂躙する者たちが現れた時は、お前達はそいつらと戦わなければならない。自分が存在することの意味をかけて。心の底からの願いをかけて。きっと、自分の強さに驚くだろう。人間には、譲れないものを護るための底知れぬ強さがある。
もし戦いに敗れても、何度だって挑めばいい。ひとりでは無理だというのなら、周りを見回してみろ。必ず、同じように戦う仲間達がいる。
そうやって生きて、生きて、生きられたら、人として生まれたことを、自分という人間であれたことを、生きることそのものを、誇れるようになる。
いつか、もう自分は充分だと思う時がきたら、全てをまっとうしたと思うことが出来たら、一緒に、眠ることを考えよう。
今までの自分を振り返りながら、お前という人間の幸福を噛み締めながら、少しの間、一緒に歩こう。
心の熾き火が燻ってうまく眠れないときは、俺が話を聞いてやろう。戦いの記憶に苛まれるのなら、俺が背中をさすってやろう。眠りにつくその時まで、ずっと傍にいよう。
お前が世界中から糾弾される存在でも、時が経ちすぎて世界から忘れ去られても、オレだけはお前達の傍らにあって、最期まで、お前を護るものであろう。
いつだってオレを苦しめる、こんな世界、愛してなんかいない。
魂核寿命?馬鹿げてる。死者と生者の間で気を揉み続けた結果がこれか。
体力と気力をすり減らし、魂まですり減らしていたということか。
もう他人のワガママに付き合うのはご免なんだ。面倒見きれない。死のうが生きようが、好きにすればいい。この世だろうがあの世だろうが、好き勝手にやってくれ。
どうかオレを巻き込まないで欲しい。もう、放っておいてくれ。
これはたぶん責任転嫁なんだ。
願いだなんてキレイなものじゃなく、どうしても消えないこのエゴを、自分ではもう背負いきれないと、背負いたくないと音を上げて、他人に押し付けたいんだ。
だって愚かな人間達は、説得しようとしたって、必死で叫んだって、我が身を振り返ろうともしない。何も解ろうとしない。知ろうともしない。聞く耳をもたない。
自分に都合の悪い部分から眼を逸らし、見たいものだけしか見たがらない。
手の中にあるもの事など考えない。無いものばかりを追いかける。隣を見ては羨み、その隣を見ては蔑む。
そうして満足を拒否し続けた心は、肉体が滅びても消えずに残る。
喪失って初めて気付く愚か者達。さあ、足宛くがいい。苦しめばいい。それはきっと手にしていたものの尊さに気付けなかったお前達への罰だ。その手の中のもので満足しきれなかった、お前達の貪欲さに対する制裁だ。
否定された?虐げられた?ならばお前達が他人にしてきたことは何だ?
救ってやろうなんて思わない。手助けなんてするつもりもない。
けれどお前達は自分の醜い足掻きに他人を巻き込もうとさえする。自己弁護の咆哮を上げ、他を引きずり込み、巻き込まれ堕とされた者がまた叫び、足掻く。無意味に拡大するその愚行の輪。その存在の矮小さと醜さに呆れすぎて言葉もない。
もういい。もう本当に手に負えない。
もう優しく誘導したりはしない。気長に待ってもやらない。もう期待したりしたくない。聖なるチカラも使ってやらない。オレはもう自分の手は汚したくない。
今からオレは、この救いようのないループを破壊する。
まずはお前達が見たがらないものを強制的に見せてやろう。人間のどうしようもない馬鹿さ加減を目の前に突き出してやろう。そうすればその救いようのない脳ミソも、手にしている特権とその有限性に気付くことが出来るだろう。それでもすぐには理解できない、しない者たちがいるというのなら、羨み足掻く者が絶えないというのなら、絶対に他人を巻き込めないようにしてやる。怨嗟の鎖を断ち切ってやる。
オレを好きなだけ責めればいい。見たくなどなかったと、肉体の無い延命など必要ないと、自己救済に巻き込むなと、単なるエゴだと、新ルールの押し付けだと、独断の法改正だと。オレはそれを否定はしない。
けれどもこれは、積もり積もったお前達の罪が具現化したものだ。お前達が見まいとしてきた、世界の不条理そのものの姿だ。
人が人を否定し、拒否し続ける限りこの反自然の独立国は機能し続ける。終わらせたいというのなら、そのための答えは、お前達自身の中にこそある。まずは、お前達が知らなければならない。自分自身の心の奥底にある、誰にも譲ることの出来ない自分だけの真実を。そして、互いのそれを認め合い、尊重しあわなければならない。
もし、そのかけがえのない真実を、侵略し蹂躙する者たちが現れた時は、お前達はそいつらと戦わなければならない。自分が存在することの意味をかけて。心の底からの願いをかけて。きっと、自分の強さに驚くだろう。人間には、譲れないものを護るための底知れぬ強さがある。
もし戦いに敗れても、何度だって挑めばいい。ひとりでは無理だというのなら、周りを見回してみろ。必ず、同じように戦う仲間達がいる。
そうやって生きて、生きて、生きられたら、人として生まれたことを、自分という人間であれたことを、生きることそのものを、誇れるようになる。
いつか、もう自分は充分だと思う時がきたら、全てをまっとうしたと思うことが出来たら、一緒に、眠ることを考えよう。
今までの自分を振り返りながら、お前という人間の幸福を噛み締めながら、少しの間、一緒に歩こう。
心の熾き火が燻ってうまく眠れないときは、俺が話を聞いてやろう。戦いの記憶に苛まれるのなら、俺が背中をさすってやろう。眠りにつくその時まで、ずっと傍にいよう。
お前が世界中から糾弾される存在でも、時が経ちすぎて世界から忘れ去られても、オレだけはお前達の傍らにあって、最期まで、お前を護るものであろう。
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