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短編Index


 静まり返った船のへりから、高耶はひとり海を眺めていた。
 夜明け前の風に吹かれていると、霊繊維の服だけでは少し肌寒い。秋の気配が漂い始めている証拠だろうか。
 しばらくしてから甲板に誰かが出てきた。気配だけでそれが直江だとわかる。振り返らない高耶の肩へ、何も言わずに上着をかけた。眠れない理由が、訊かなくとも解るのだろう。そのまま高耶の後ろに寄り添って立った。
 傍に寄るなと言おうとして顔を見上げると、そこには昔のような優しい微笑みは無く、無表情に近い顔があった。それで高耶は注意する気も失せてしまった。直江のその瞳が見ているものを思えば、少しくらい好きにさせてやったっていい。仰向くようにして肩口に体重を預けると、両腕を回して支えてくれた。
「すごいな」
 見上げると、そこは満天の星空だった。
 市街地から見た空だから、満天というのは少し大げさな表現かもしれないが、少なくとも四国の灰色の空を見慣れた高耶にはそう思えた。
「ええ」
 深い声が、身体の触れ合った部分から響いてきた。高耶を心の底から安心させる声色だ。
 そのままふたりで佇んでいたが、しばらくしてから先程と同じ声で直江が言った。
「もう戻りましょう」
 あと数時間もすれば行動を開始しなくてはいけないことは高耶もわかっている。
「もう少し」
 それでもこの時間が惜しかった。
「駄目です」
 いやに断定的に言う直江を変に思って、高耶から身体を離して振り返った。
「あなたを"治療"しなくては」
───直江」
 中川がわざわざ外地から送ってくれた検査結果は、この男に都合の良い言い訳を与えただけだったらしい。
「武藤も久富木もいるんだぞ」
 この男の思うままにしてしまったら、船ごと揺らしかねないと高耶は本気で思った。
 直江の視線が滑るように海へと移る。
「海というのは、ただ荒々しいだけではないでしょう」
「………?」
 海には確かに、厳しく容赦ない面もある。嵐の晩、高波を猛然と荒げた海などは、誰にも鎮めることは叶わないだろう。収まるのを待つしかない。
 しかし、鏡のような水面を保ちながら、静かな波で砂浜を濡らすような夜。そんな時は、波の音は全ての人間を癒やす音楽へと変わる。月明かりの中、一定のリズムで、耳を傾ける人間が満足するのを待つように、ただ静かに波を寄せ続ける……。
 その脳裏に広がった穏やかな光景は、高耶にはひどく煽情的に映った。直江のそんな面も、味わってみたい。
 差し出された左手を、高耶は掴み返した。
 空の片隅が白み始めている。
 夜明けまでは、あとわずかだ。
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